残り半分

話がまとまる前にやめとく派です

保護色

わたしは他人に甘いほうです。仕事ではひとを管理しなきゃいけない立場ですが、仕事の出来・不出来に関係なく、大事なときに最低限の連絡ができる子なら、放置してしまう。もちろん、自分にも甘い。他人の目があってはじめて動けるので、在宅ワークは絶対ムリです。プライベートでも、ほかのひとからするとエッていぶかしい顔をされるほど、家族はやりたいままに暮らしていて、それでも、困ったり、わからないことがある時はすぐ連絡がくるので、元気ならヨシとしてます。

ただ、ハナゲには断固たる姿勢であたります。

髪よりも細く短いあのハナゲが、ピロンとコンニチハするだけで、なぜこんなにも人としての尊厳が失われたように感じてしまうのか。たとえば、髪の毛一本がぽやんとしていても、アゴに髭の剃り残しがチラッと見えても、そこまで気になることはないし、すくなくともその人の尊厳は保たれるように思う。疲れていて寝坊して走ってきたから髪が乱れたのかな、剃り残したのかな、と心配はすれども、わたしがその人を尊敬する気持ちは変わらない。けれどハナゲは別です。どれほど仕事ができる人でも、可愛らしいひとでも、愛おしい人でも、ハナゲが一本でも見えた時、裏切られた、とすら感じてしまう。だから、たとえ目上のひとであっても鼻から黒い筋が見えたらすかさず指摘しますし、部下にハナゲが見えたらビシッと叱ります。いますぐそのファッキンなヘアを根元から引っこ抜いてこい、と。もちろん自己管理も徹底しており、毛抜きピンセットでのケア最も確実な日常管理方法で、余念がないのは当然のことです。

なぜハナゲだけがこれほどシビアな判定を受けるのか、アンフェアじゃないかのか、そんな声がわたしのなかでも聞こえてきたのですこし考えてみました。髪も、眉も、まつ毛も普段見えている。普段見えているものが乱れていても、それほどわたしは動揺しない。ヒゲは剃ってふだん見えないじゃないか、と感じますが、脱毛でもしない限りヒゲは短くも薄く見えてますし、露出したアゴや鼻の下にあるので、あるべきところにある、という意識の範囲内であるから、ヒゲも髪も同じだ、とカテゴライズできそうです。でも、ハナゲがコンニチハ、これは許されません。本来隠れているものが見えてしまっている状態なわけで、それはインビでありケガレであり、ヒトの精神性にかかるものと言えます。おそらくポストハナゲ派が跋扈すれば、ハナゲボーボーが正しくなる日が来るかもしれないという節は否定しません。これはイデオロギーであって、わたしは許さない派であるにすぎないのです。

今朝鏡を見ると、わたしの鼻の穴の入り口に、長さ5ミリ程の白い光が着いていました。ホコリかな?と鏡に近づくと、しかしそれは白いハナゲであった。なかなかロングで今日だけで生えたものとは到底考えられず、おそらく何日もお鼻から白いスジがコンニチハしてたものと思われる。

チキショウやられた、保護色か!怒りと共に引っこ抜きました。

 

edblのNostalgiaを紹介します。

アーティスト名はエド・ブラックと読むそうです。トムミッシュとかの、ロンドンのスムースなジャズシーンと同じ文化圏で鳴っている音楽らしい。たまたまiPhoneからリコメンドされて知ったのが去年あたりだったか、以来お気に入りです。