残り半分

話がまとまる前にやめとく派です

心配で何も買えない

今週のお題「100万円あったら」

100万円と聞いて即座に思い浮かぶのは、クイズ番組とかイベント優勝の賞金額です。5、6年前のみのさんのクイズ番組はもっと高額でしたっけ?すると100万円というのは単なる慣習かな。キリの良い数字ですし。調べてみると、1971年に公正取引委員会が設けた取り決めで、懸賞金は100万円までとなったようです。確かに聞いたことあるような、無いような・・・。でもその後は、段階的に規制緩和に向かって、現在は無制限とのこと。そうか。

話をお題に戻すと、100万円で買いたいものは、わたしにも多分色々あるんですけど、この歳になると買ったあとのことをついつい考えてしまいます。トータルコストというとカッコ良すぎますけど、後でどうすんの、ということです。維持費、管理費、捨てるお金、色々かかってくる。そういえば一時期、腕時計に憧れたんですけど、お店で話すと、100万円もするからには手間要らずで死ぬまで使い続けたいところですけど、数年に一度のオーバーホールだの何だのずいぶん手間が必要のようでした。だったら数万程度のオートマチックとG-SHOCKを場面で使い分けて、壊れたら買い替えていく方式がよっぽど楽しめる。と思ってしまいました。それからメンテナンス絡みでいうと、流行りに乗って太陽光・オール電化にしてしまったことがわたし的には痛恨の極みで、今のところ何ら問題はないですけど、老朽化に伴う維持管理について悩みのタネになっています。そういう意味で、生活する道具の一般性というか汎用性というのは万能なんだよなあと最近気づいたことです。でも、そうではない価値観も一応は知っていて、例えば友達は外国のレトロな車が大好きで、乗ることよりもガレージであーでもねえこーでもねえといじり回すことを至上の楽しみにしていて、そのためだけにお金を稼いでいるってところがあります。それはそれで楽しそうでカッコ良い。

わたしにとって100万円は、ついつい心配の種が増えるだけで、所有欲や物欲を満たすには中途半端かもしれません。そうしたら他人に回そうか。コロナ騒動が済んだら、部下に好きなものを食わせて喜んでもらうか、実家のバリアフリー工事を進めるか、寄付して自己肯定感を満たす、そんなところです。

ハービーハンコックのSpeak Like A Childです。ジャケット写真がとてもよくて、男女のシルエットはハービー本人と奥さんだとどこかで読んだ気がします。

 

 

 

 

進撃の巨人終わった

マンガ進撃の巨人の最終巻34巻が発売されました。巨人から身を守るために、壁に囲われた街に住む人々の話。「壁」の象徴性に魅了されて、ずっと物語を追い続けて来たので、10年越しでの完結に感無量です。

ところで創作物語って、最後に何らかの形で世界観を一旦閉じなければならない。でも普通の人の人生は、伏線を回収しきって終わることはまずありえないでしょう。きっとほとんどの人は人生の最後に、ああすればよかった、こうすればよかった、と思うことすら多分なくて、何もわからずに命尽きることの方がきっと多いです。そのように、物語の終わり方は一般的な人生の終わり方と全然違うのに、それゆえに共感の余地なんかたいして無いはずなのに、しかし物語の終わりには何故か何らかの感動や余韻をわたしに残して、ジーンと来たりする。不思議です。

 

TOTOのCan You Hear What I'm sayingとOut Of Loveを紹介します。途中加入したボーカルのミシェル・バイロンはこの2曲ともう1曲に参加してバンドからすぐ抜けてしまっていて、日本のWikipediaの方では旧メンバー欄にクレジットされていない、どちらかというと「いなかったことになっている」ボーカリストです。しかしわたしはTOTOの中ではミシェルバイロン加入中の3曲が1番好きだったりします。ブルースやソウルなどのブラックミュージック要素が普段のTOTOよりも濃いめに出ているところが気に入っています。

蕎麦と酒とジャズ

今週のお題「そうめん」

そうめんは子供の頃よく食べた気がするんですけど、大人になってから食べた記憶があまりないです。単身赴任が長いと外食が増えるんですが、食堂のメニューでそうめんって見ないですよね?冷やし中華はよく見るけど。

ここまで書いて「ひやむぎとそうめんって何が違うんだっけ?」「子供のころそうめんにスイカ入ってたな?うちだけかな?いやあれはひやむぎかな?」って心配になって調べたり。結局よくわかりませんでしたが。元も子もない話をすると、夏の麺類は外でも家でも圧倒的にざる蕎麦で、そうめんは本当に食べることないです。

蕎麦を作るときは乾麺を使います。スーパー、コンビニ色々食べ比べましたがセブンの乾麺が1番喉越しが良くて美味しい。外食についてはまだまだ掘り下げが足りないとは思ってますが、山奥に行って気分で美味しく食べる蕎麦は別枠として、純粋な味で言うと長野市の「山喜屋」が1番美味しい。

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長野の蕎麦は基本的にハズレがないと思って差し支えないですが、油断して観光用の大型店舗に入ると肩透かしを喰らうので注意が必要です。

変わり所としては、関東なんですけど酒蔵が経営するお店で、日本酒と一緒に塩で蕎麦を食べる店があった気がするんですけど、行ったのは十年以上前のことで、なんていうお店かちょっと忘れちゃったな。そのお店は店内でモダンジャズが流れていて、わたしが思うに、蕎麦と酒とジャズって親和性が高いと思うんですけど、そこを猛烈にプッシュするお店には巡り合ってないですね。

 

デイヴ・ホランドクインテットからPrime  Directiveです。ベーシスト デイヴ・ホランドは1946年生まれのお爺ちゃんで、使っている楽器はウッドベースがメインですが、その音楽的感性は数あるジャズベーシストの中でもバリバリに現代的・先鋭的だと思ってます。ベースラインがベースラインの枠を超えたリフのようなものになっていて、ベースだけ抜き出した感触としてはヒップホップのような雰囲気がありますが、そのベースに合わせてドラム・トロンボーン・サックス・ビブラホン全員天才集団が寄ってたかって繰り出す素晴らしいアドリブとコールアンドレスポンス。たまりません。

今作るとどうなるかな

今週のお題「わたしのプレイリスト」

最近はもっぱら他人のプレイリストを聞いてばかりです。ただ、わたしのiPhoneApple Musicアプリには、iPod時代からのプレイリストが残っていて、相当久しぶりにプレイリストフォルダを覗いてみました。

プレイリスト名は作成した年月日になっていて、2010、2011、2012で始まるプレイリスト名が1番多いので、どうやらその頃が1番熱心だったようです。でもあの頃、プレイリストをネットで誰かと共有するプラットホームはなかったと思うので、自分で楽しむためにせっせと作っていたのかな?もう記憶も曖昧です。

その中でこれは結構頑張ったんじゃないかと思うプレイリストをひとつ紹介します。

「20100505渋いダンサンブル・ロック」ってタイトルです。タイトルの工夫の無さよ。

 

 

我ながら今聴いてもなかなかセンス良い選曲と自画自賛したくなります。音響良いところで鳴らしたら低音が腹に染み渡る選曲。

ほぼ洋楽曲の中、唯一12曲目のRittzは日本のロックバンドです。1992−94ごろのバンドで、一人一人の演奏能力がものすごく成熟しているんだけど、鳴ってる曲の印象はものすごく粗暴というね、そういう佇まいがカッコイイわけですよ。

Hoochie Cochie Manという曲はギタリスト友森さんのセンスが炸裂していて、歌の最中は、例えていうならザ・ポリスのアンディーサマーズやU2のジ・エッジあたりがマンツーマンでアンビエントの巨匠ブライアンイーノの指導のもと演奏したかのような理性的なアレンジで進むんですけど、ギターソロに入った途端に本能直結な演奏で、ジェフベックばりの熱さでゴリ押し展開するっていうですね、ああこの頃のロック大好きだったなあ。

今日明日で気が向いたら、久しぶりにプレイリスト作ってみようかなと思いました。多分ゲキ渋で枯れた選曲になってしまう。

ひとつよろしく

今週のお題「雨の日の過ごし方」

雨の日の過ごし方・・・例えば雨の日にしかできないようなことって何かあるのかなあと考え始めてみます。そうするとわたしの生活している範囲では、雨が降るとやることが制限されこそしますが、雨だからこそできること、というのはちょっと思いつきません。雨でなくとも本は読めるし映画見れるし音楽も聴ける。お部屋の掃除もできるしおうちの書類の整理もできる、けれどもそれは雨じゃなくてもできることです。・・・話が終わってしまった。

ちょっと見方を変えてみて、雨の日とはどういう状況か、ということを考えてみます。当然、外は雨が降っている。雨が降るといつもより川に水が多く流れ込みます。川の水は海に行き着く。海は雨の日は風向きにもよりますがいつもより高い波が立ちます。それでサーファーが大喜びで荒れた海面を楽しんでいる。わたしは電車の窓越しに、あらら岩礁がすぐ近くにあるのにそんなに人が密集してたらぶつかるなあ危ないなあ、と思いながら眺めています。このご時世なので電車の窓は半開きになっていて、多少の雨では閉められることはありません(開閉の頻度は路線によります)。わたしはうっかり窓の真下に座ってしまったので雨粒がぽとぽと頭に落ちてくる。席を変えたいけれど、あいにくどこも席が埋まっているようなので多少の雨粒は我慢することにしました。隣の人も頭上が気になるようですが、席を立つ気はないらしい。電車の横長な席の端っこを見てみると、持ち主を失ったビニール傘が置き去りにされています。わたしの持論ですが傘は忘れるためにある。どうせ置き去りにされた傘の持ち主も、あ、忘れたけどしょうがないや、と思っているはずで、わざわざJRに忘れ物届けをすることはないだろうと思う。誰かが持ち帰っても誰をそれを咎めることはないだろうと思うんですけど、誰も持ち帰ったりしないのは不思議に思うことがあります。雨の日は忘れ物傘を積極的に貸し出してくれないかなと思ったりする。そういえば傘の次なる雨具がなかなか発明されないので誰か賢い人に気の利いた雨具を考えてほしい。軽くて持ち運びが楽で、片手が塞がったりせず、季節を問わずに使える雨具。例えばさあ、首からネックレスみたいにぶら下げてボタンを押すと体全体を薄い空気の膜が覆ってくれて、自分の動きにしっかり追随してくれるようなやつですよ、ひとつよろしくお願いしますね。

雨の日の音楽は圧倒的にノラジョーンズが良いです。

 

 

 

虹、出現

都内では星空はたいして見えませんが、虹は時々現れて、空に美しい弧を描きます。

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よーく目をこらしても七色あると確信を持って言えない。七色って本当かな?

虹の色数に関しては非常に主観的らしいです。外側の赤から内側の紫が無限のグラデーションを成している、というのが正解で、国によって2色と表現することもある模様。

年に数回程度の虹が現れたら、みんなでカメラを向けていて、わたしもその1人でした。特にお互い言葉を交わすわけでもなく、特に連帯感はないけれど、綺麗なものを綺麗だなあと共有できるひとがこれだけいるのだな、と少し心強く思いました。

 

スマホ買い替えについて2

先日買い替えを迷っていると書いたと思いますが、きのう唐突に暇になって、迂闊にも家電屋さんに入ってしまい、店員さんからの強い勧誘もなくわたし自信の強い購買意欲もなかったのに何故かスマホを買い替えてしまいました。高価な買い物を、こんな逡巡もなく興奮もなくフラットな気持ちで臨んでしまって良かったのだろうか。でも買ってしまいました。ニューマシンはiPhone12miniです。これまで使っていたのはiPhone7だったので、単純計算で5世代ぶり。お笑いで言うと5を引いた第2世代はB&Bの頃を言うそうです。知ってますか? B&B。iPhoneの5世代差については実感としてはそれほど変化はなくて、買っておきながらなんですけど、大きな驚きはなかったです。そりゃ、CPUがお利口になったり、ディスプレイが液晶から有機ELになったりと、そういった変化は相当ありそうです、ってことは買ってから調べたことなんですけど。お店では、廉価版のiPhone SE2と比べてみて、どうせ買うなら機能性の高いのを、くらいの気持ちで買ってしまいました。(ところでiOSiPhoneと表示させるのにローマ字入力でアイフォーン(キーボードでaifo-n)と打つのが面倒くさい。“ー“の入力が面倒くさいしフォーンて呼ぶ人は少ないと思うんです)

個人的に嬉しいのは通信プランとしてギガの制限がなくなったことと、MagSafeと言って本体内部に磁石(と電磁コイル)を内蔵したことです。ギガ使い放題になって固定回線・Wi-Fiに頼らずデザリングや大容量コンテンツを扱えるようになったのは、音楽をはじめとしたデジタルコンテンツをいったん保有(保存)することで所有欲を満足する、というジレンマからようやく解放されましたし、MagSafe対応充電器にスマホを置くだけで充電できるようになったのは、MagSafe充電しながら空いた今までの充電差し込み口にモニター出力装置を取り付けることが可能になったので、モニタ出力中の電池の心配がなくなると言うことはゴッドファーザーのような長編映画を何も心配せずにスマホから大画面出力できるようになったと言うことです。さらには持っているAirPods proもMagSafe対応しているのが結構嬉しい。

ではその嬉しかった2点(ギガ放題、MagSafe)において買い替えの価値があったかというと、うーんやっぱりよくわからない、って結論であるところにおいて、わたしの行動の挙動不審さが我ながらあります。