残り半分

話がまとまる前にやめとく派です

音楽はいいなあ

このごろ、音楽が身近に帰ってきて、とても嬉しいです。

身近とはどう言う意味かと言うと、単純な話、コロナで控えていたライブを観るようになってきた、ということです。

 

今日は、いま唯一気になっている若いバンド、チルズポットのワンマンを台場で見てきました。あの、ほかのバンドはつまらない、と言う意味ではなくて、単にわたしがチルズポットしか知らない、そしてめちゃくちゃ好き、と言う意味です。

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コロナ以降でバンドのハコライブ観たのは初めてで、その雰囲気が昔と全く違う。なんというか、平和です。いま、観客に許されているリアクションは、拍手や手を振ることなので、バンドは観客の手を振る姿を観てニコニコしている。観客もバンドの音に合わせて、叫ぶことなく、でもバンドに楽しいと伝えたいから、一生懸命体を動かす。そこにはかつての野太い声の「い゛え゛ーい゛」とか罵声とかモッシュとかダイブとかはなくて、しっかりパイプ椅子がひとりひとつ割り当てられて、その割り当てられたスペースでゆらゆらと体を揺らし、時に手を挙げて楽しでいる。うーん、平和だ。そしてこの雰囲気はわたし個人としては大好きだと思った。心なしか、バンドの音も昔よりはっきり聞こえる。

 

その、チルズポットのライブですが、とても良かったです。良かったと言うレベルでは収まらないな、感動しました。

チルズポットの音楽は、これまでのポピュラーミュージックの全部をいったん受け入れて、融合して、そのさきに自然に生まれた音を空から掴んで、ほら、とわれわれに見せてくれます。そんな音楽だと感じます。

これまでのポピュラーミュージックの全部、なんてひと口に言ってしまうと語弊があるかもしれませんが、そう思いたくなるほどに、多様な音楽的引用が見受けられて、しかしともすればバラけそうな音楽性をひとつにまとめ上げる屋台骨が、昨年11月に白樺湖で観た時よりはるかにすばらしい声と表現力を獲得しているボーカルの比喩根さんで、バンドはその声を最大限に引き出す虹色の装置だと思った。

 

過去100年近くにわたって、いろんな音楽が流行って、みんなに親しまれてきました。ジャンルによっては、ときにほとんど忘れられて、時代に取り残されてきたようなものもたくさんあります。でも幸いにも、今の時代はそういうごくごくレアな音楽に、サブスクや動画サービスなどを通して誰でも安価に触れることができるようになっている。わたしの若い頃のように、なけなしの3千円で雑誌レビューだけを頼りにギャンブルのように音楽を買って、外れたらその5分の1の価格で売って、を繰り返していた時代とは人々にとっての音楽の性質・存在感が全く異なります。この安価でアクセスしやすい状況は、音楽が軽く見られている、とわたしの音楽の先輩が言ったことがあります。でもわたしは、この音楽の状況はとても豊かなことだと思う。チルズポットはいまの時代の音楽に触れる豊かな面、幸せな面がとてもよく反映されたバンドだと思います。だからとても好きなバンドです。