残り半分

話がまとまる前にやめとく派です

叫ぶとするなら

今週のお題「叫びたい!」

叫びたいかな?って自分のこころに聞いてみました。うーん、現状そうでもないようです。叫んでるかな?って記憶を反芻してみました。最近は、あまり覚えがあまりません。叫ばなくなったのはコロナのせいかな?わたしは飲んだり遊んでる時にテンションが上がっても叫ぶことはないので、コロナなど社会的なものごとのせいでもないようです。でも若い頃から叫ばなかったかというと、たぶん若いなりに叫んでいたとおもうのでそのへんを思い出してみたい。いちばん新しい記憶はさすがサラリーマンというか悲しきサラリーマンというか、お仕事に関することで、若かりしわたしにとっては痛恨のミスがあった時(いま思い返せば全然大したことはないことでした)、自分に腹が立って人目もはばからず全身全霊力を込めて叫んでた気がします。チキショー、ウォーって、まったく恥ずかしい。近くにいた同僚の皆さんには大変申し訳なかったですし、いまでも彼らと仕事の上で連絡を取り合うことがあると、当時を思い出して気恥ずかしい気持ちでお話ししてます。最近は仕事で熱くなったり憤ったりしたときに、叫ぶかっつったらそれはまったく得策でないことはよくわかってますけど。

大好きな音楽のときはどうかな?ロックやエレクトロのライブで叫んでたかな?2年もライブから離れていると思い出すのに骨が折れますが、記憶の範囲では、わたしの定位置であるライブハウス最後方の壁にもたれて身体を揺らす楽しみ方であったはずなので、叫びからは縁が遠い。

何週間前に書いた10代の新人バンド、chilld spot(チルドスポット)に大いにハマってます。毎朝毎晩電車で聴いてる。聴けば聴くほど彼らの音楽の深い部分に触れるような気がして、いまのところ飽きることがありません。曲の良さはもとより、表現力豊かな歌、多様なリズム解釈、繊細な和音構成、バンドとしての一体感と間の取り方、どれもこれも今のわたしにぴったりハマる感じで心地よいです。彼らは曲の中では叫ぶような雰囲気がありません。アルバムの多くの曲には熱いグルーヴが確実に存在してるけど、ステレオタイプな10代の情熱のほとばしりみたいなわかりやすいものではなくて、内側からジリジリと体内温度を上げていくような。

気づいたのは、少なくとも今回のデビューアルバムingredientsを聴く範囲では、ベーシストが音楽の中心的な存在のように聞こえる、ということです。本人たちの認識が実際どうなのかわかりませんけど、リズムとコード感、グルーヴ全体を引っ張っているのはベースだなあと感じることがとても多い。面白いのは、ベースがこれ見よがしにスラップとか特殊なテクニックを見せてる訳ではないし、バンドを食ってしまうようなベースラインを弾いてるわけでもないのに、少なくともわたしにはとても印象深く残って、ついついベースに耳を傾けてしまう、ということです。なんだろう、うまく言えなくてもどかしいですが、ベースの音と響きがアルバム全体を通してものすごく良い、すくなくとも滅多にベースの音がいいなあなんて思わないわたしが、ものすごく好みの音だと思うくらいに良い音してる。懐が深くて包み込むような、でも一つ一つの音のアタックは強い。じゃあ音が良いだけでバンド全体を包み込めるかっつーとそれはよくわからない話です。来月18日にある、もうソールドアウトになってしまった追加公演ライブをどうにか当日券で見て確かめることができたらきっと、心の底から叫んでると思います。まだライブハウスじゃ叫んじゃダメなのか。心の底で叫んでると思います。

今日は、iPadのOS更新中にiPhoneで書いてみました。iPad OS15はスクリブル機能が日本語に対応したので楽しみです。