残り半分

話がまとまる前にやめとく派です

最近よかったこと、わるかったこと

今週のお題「読書の秋」

「これでいつでも手軽に音楽を楽しむ環境が完成した」とかなんとか大袈裟なことを何ヶ月か前に書いたような気がします。その大言壮語な一端を担っていたワイヤレス・ノイキャン・イヤホン、AirPods Proを無くしたんです、少し前に・・・残業が立て込んで終電をオーバーしたので近くのビジネスホテルに泊まったその翌日、今日は早く帰ろうって席を立ってリュックのいつものポケットに手を入れたら、あのAirPodsポリカーボネート製ケースのすべすべした感触がどこにもない。なるほどそうか。わたしは冷静に、iPhoneの「探す」アプリで使用履歴を確認しました。すると、朝ホテルで使った履歴が最後の位置情報として残っていたので、なーんだと思ってホテルに問い合わせてみたけれど特に届けはないし部屋にもないという。それではと思って、会社からホテルの距離100mくらいを歩いて探してみたけれど、まあこれは当然ですけど、ない。そのホテルと会社の間には交番があるので交番で誰か善良な方からの届けがないか、尋ねてみました。警察官曰く、黒いBOSEのイヤホンが届けられている、というので、「ええ、そのBOSEのやつです」とすまし顔で言ってしまいたかったけれど、我慢しました。つまりこれはもう、ロストした。ということでしょう・・

話は少し変わりますが、先ほど書いた通り、わたしは残業がもうどうしようもない時は近くのホテルに泊まります。その「どうしようもない時」というのは1日のうちに突発的にいくつものトラブルが発生した場合のことなので、出かける前に「今日は泊まりだから着替えとお泊まりセットを持って行こう」みたいなことはできません。だからわたしは自分のロッカーに、幾つかの着替えセットと、薬やコンタクト保存液やメガネなどをまとめたポシェットを用意しています。実は今時、1日分の下着やワイシャツ、エチケット用品はコンビニ2軒ほど歩けば大体揃ってしまうのですが、やはりわたしが悪いわけでもないのにおうちに帰ればたくさん在庫している下着や諸々を新調するのはもったいないということで、ロッカーに置いてあるわけです。

またお話は戻りますけど、通勤時が1番の音楽視聴時間帯であるわたしには、イヤホンなしの生活はあり得ませんでした。だから結局、新しくイヤホンを買いました。もう一回AirPodsを買っても良かったのですが、諦めが悪いので、見つかったら勿体無いじゃないかと思って別のものを選びました。何を買ったかというと、これは家族にはぜったい内緒なんですが、ソニーの最新のイヤホンを買いました。

 

音はすごく良いです、同じ曲を聴いたとき、AirPodsで聴いて覚えているその曲の音像と、WF1000XM4で聴く音像は明らかに違う、後者の方が分厚いというか奥深く聞こえる。のですが、使い勝手とノイズキャンセリングの安定感はAirPodsProの方が段違いに良いです。iPhoneの純正品であるAirPodsと相性を比較するのはずるいかもしれませんが、特に電車に乗った時のWF1000XM4は、ちょっとストレスが溜まるくらいに操作性や安定性が低く、またノイズキャンセリング機能は部分的に効果が強すぎて、装着中耳の気圧が下がったような不快さがあり、その割には外部中音域のキャンセリングの効きが甘い。音楽は時間経過と切り離せないコンテンツなので、たとえどんなに音質が良くても、電車の扉が開いたり顔の向きを変えるたびにノイズキャンセルが切れたり片方聞こえなくなるのは、やはり困ります。

そういう音楽に関する些細なストレスを抱え始めた昨日、またもや、もどうしようもなく仕事が立て込んでしまったので、また夜中にネットでホテルをとりました。ロッカーの扉を開けてお泊まり用の着替えとポシェットを手にしました。薬がまだあったか不安だったので、ポシェットのジップを開けて中を覗いてみたら奥に白い光沢が見える・・無くしたAirPodsProがしっかり入っていました。あるじゃん、ここに。ああよかった。ということで、最近の悪かったことが良かったことでもある感じです。誰かソニーのイヤホン欲しいかた、いらっしゃいますか。

読書について、わたしは普段テレビドラマを見ていなくて、NHKでいま、明治維新のドラマになっていたこともよく知らなかったのですが、色々お城巡りマイブームの中、戊辰戦争の壮絶な場であった会津若松のくだりを知るにつけ、徳川慶喜の思考回路がとても気になって仕方なかったので、彼に関する本を読んでみたいと思って読んでいるのがこれです。

 

 

実は残り10から20ページを残して何週間か経っているのですが(鳥羽伏見の後くらい)、あまり読み進む気にならない。なんだろう、いろいろな家臣・脇役を通して語られる主人公、という書き方が司馬遼太郎さんの書き方なのかもしれないけれど(他を読んだことがないので本来の文体知らないです、ごめんなさい)、嘘でも、というか仮定だらけでも良いので主体的に本人がどういう思考プロセスを経て、あのような非常識でダイナミックな行動を取り続けたのか知りたかったです。小説よりも論文とかを当たる方が話が早いかもしれないと少し思ってますが、わたしは専門性皆無なので、とりあえずはこれから残りのページを読んで、明日は図書館で徳川慶喜関連の書籍をたくさん漁ることにします。