残り半分

話がまとまる前にやめとく派です

スティーリー・ダン

緊急事態宣言が発令されて都内では多くの店舗が当面休業となりました。だから、休日に都内をぶらついても文字通り本当にぶらつくだけで寄るところもなくお家に帰るしかないような、わたしの観測範囲ではそんな状況です。今度の変異種は、以前のように、マスクさえしてれば近距離で会話した履歴があっても濃厚接触者にならなかった時とは様子が違うので、実は個人的にはちょっと緊張感あります。

そんなわけでいつにも増して籠りがちなここ数日は、1970年代から80年代前半にかけて活躍したバンド、スティーリー・ダンのアルバムAja(‘77)とGaucho(‘80)を集中的に聴いてます。スティーリー・ダンはわたしが学生の頃にすでに、アルバムを十年以上リリースしていない伝説の職人バンドみたいなポジションで、ミュージシャンズ・ミュージシャンとか玄人ウケする音楽と呼ばれていました。痛々しいことに、わたしはそういうのを聴く自分がなんとなくカッコいいと思っていたので聴いていましたが、正直なところ当時は良さが余りわかっていませんでした。第一印象としてはただ地味だなと思っていたし、ましてや良さを言葉にすることなんてできなかったので、あまり周囲と語り合う気にもならなかった。今ならスティーリー・ダンを完全に把握している、と言いたいところですけど、そんなことは全然なくて、やっぱりよくわからないことも少なくないです。それでもたとえば、ベースとドラムのアクセントの合わせ方とか、音の隙間を絶妙なタイミングで埋めるギターのワンフレーズ、鳴っている音のデッド感(エコーの少ない状況)など、聞けば聞くほど物凄い細部まで意識を巡らせて曲を作っていることがわかるので、グッとくるポイントが増えていく。各楽器パートの音にやりすぎと感じるところがないために一見地味ですが、一生かけて解きほぐすだけの要素が詰まっているのがスティーリー・ダンの音楽だと思います。