残り半分

話がまとまる前にやめとく派です

音楽のアーカイブ

ジャズを本格的に好きになったのは30代後半のことでした。泣きそうになりながら1人深夜残業している時、どうせ誰もいないからとiPodをスピーカーに繋いで、図書館で借りたばかりのマイルス・デイビスの“So What“のイントロ最後の深く広がるシンバルの音を聴いたのが運の尽きです。目の前に、山奥の濃い霞に包まれた湖と、湖面に投げ込んだ石が同心円状に静かにいつまでも波紋を広げ続ける様がビジュアルとして浮かんで、「そういうことか」とどこか悟りを開いたような、大袈裟かもしれませんが、その時は大きな枠としての「ジャズ」を理解したような気がして大興奮したものです。今思えばジャズを理解するなんていう放漫な態度に我ながら苦笑してしまうんですけど、「ジャズの良さの一端が自分の心の腑に落ちた」程度であったとしても、わたしにとっては嬉しい瞬間でした。

ジャズはすでに100年分近いアーカイブがあって、それを個人の力で掘り起こそうとしても時間的・経済的な制約があって、なかなか難しいものがあります。だから音楽サブスクリプションサービスというのは大変ありがたいサービスです。

例えばウィキペディアでも紹介されている史上初のジャズレコード、オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドによる楽曲"Dixie Jazz Band One Step"

Dixie Jass Band One Step

Dixie Jass Band One Step

  • The Original Dixieland Jazz Band
  • ジャズ
  • ¥153

うーん躍動感半端ない。各楽器それぞれ好き勝手に弾いてるように聴こえて実は統一感がある、という意味で、バッハの対位法音楽っぽいですね。

上記の音楽は歴史的には大変貴重です。でもアカデミックな方向でアルバムを多くの人が買い求めるのかというと、研究家ではないのでやはりもっとフランクに、肩の力を抜いて聴きやすいものを優先して聴きたくなるのが人情な訳でして、そこでわたしのような中途半端な音楽を探索する者にとってはサブスクサービスというのはお金も時間も節約できて、大変役に立つわけです。

ところがこのサブスクサービスがアーカイブ探索に万能かというと、どうもまだ十分ではないのです。今日の本題はそこなのですが、例えばわたしが大好きで、一般的にもとても評価が高いジムホール「アランフェス協奏曲」がアーカイブに入っていません。多分一時期入っていたと思うんですけど、最近聴きたくなって検索したらジム・ホールアーカイブからこのアルバムがなくなっていました。音楽二大サブスクサービスであるApple MusicとSpotify両方に入っていないんです。たいてい、Apple Musicに入っていない楽曲はSpotifyにも入ってません。それが音楽好きにとって有名な楽曲でも入ってないことが少なくなくて、ジムホールの「アランフェス協奏曲」なんて完全に嘘だろ?という勢いです。

ところが、YouTubeにはしっかり許諾されたアルバムがアップされています。

概要欄のクレジットを見るとライセンス所有者はSMEです。かつてのCCCDATRAC3のことを即座に思い受けべてしまいますが、そういった偏見を抜きにしても、動画配信Youtubeではアップロードが許諾されていて、音楽配信の方にはデータが無いのはなんでなんだろうか、というのは素朴な疑問なのです。楽曲権利というのは非常に複雑で、作曲した本人さえも勝手に自分の曲を配信することが許されないのが常識、という一般人の感覚的に理解できないことが常識として存在する世界なのでよくわからないのですが、例えば音楽が多くの人に聞かれることはなんら悪い事ではありませんし、お金の意味でもYoutubeの広告収入が著作権管理団体に行くように、音楽配信によっても従量課金的にその利益は権利保有者に還元されるはずで、ジムホールはすでに亡くなられているので本人の利益というのは存在しないかもしれませんが、その関連する人々にとっては利益となるはずです。あとは最近流行りのサステナビリティという面でも、動画データとしての容量よりも音声のみのデータ容量の方が少ないと予測されることから、消費電力と関連づけられる二酸化炭素消費量に関しても音楽サブスクで取り扱う方が有利なのではないかと思いますし、心配なのはかつてのGoogleの検索結果のように、検索してヒットしない物事はこの世に存在しないのと同じ、と扱われてしまう危惧があるわけで、その意味でもこのような良質な音楽の存在が特定のサービスに偏ってしまうのは寂しく悲しい話ですので、なんとかならないかなあと思います。