残り半分

話がまとまる前にやめとく派です

学び方が違う

最近の仕事の濃さですっかり疲れてしまったので、普段より早めに会社を出てきました。せっかく早めに帰っても、やったことは無印良品でいちごチョコとドライフルーツを買って帰った程度ですが、そこそこ良い気分転換になった。そして今わたしは横になって五嶋みどりさんが演奏するバッハのヴァイオリンソナタを聴きながら、将棋棋士達のインタビュー本「不屈の棋士」を読んでいます。曲はヴァイオリン・パルティータ1番のcourante-double.prestoにさしかかり、旋律が縦横無尽に五線譜と部屋の中を行き交う空間で、色々示唆に富んだ森内永世名人のインタビューを読む。いちごチョコ美味しいし。うーん、気分良いね。ゴートゥートラベルとも違う、身の丈にあった最高の気分。

 

近年ほとんど人間以上に強くなっている将棋のコンピューターソフトですが、人とコンピューターの違いとして、森下さんはこう言っていました。

人間は必ずどこかで間違える。それが現実です。将棋の世界に限らず、どんな世界でもミスをしない人はいないのです。そして人間は有限の中で生きています。全ての前提が違う。

それで、わたしが思い出したのは、人間の学びの機会というのは、成功体験の拡大という場面もたまにあるものの、世の中失敗する人の方が多い訳でして、大局的・歴史的には失敗体験によるところが大きいと思うのですが、コンピューターは圧倒的に成功体験に基づき学習しているのかな、ということです。彼ら(コンピューター)は「こうすれば上手くいく」「こうすれば勝てる」方向へ自らをチューニングし、最適な答えをアウトプットする。けれど、その最適解というのは時に大胆であったり、不遜であったりして、わたしはいつも感心しつつも少し怖いな、と思っていました。それが悪いというわけではないのですが、森下さんの話を読んで、学ぶ時の姿勢が全然違うからなんだな、ということに気付かされました。例えばコンピューターの学習手法として、「こういう失敗をしないには」とか「こうすれば勝てはしないけど酷い目には合わない」みたいな価値観で学習がチューニングされれば、そのコンピューターが我々に見せてくれるアウトプットというのは、これまでと少し異なる、なんだか腑に落ちるというか、人間味があって面白いものなのではないかな、と思うんですけど、どうでしょうかね。


 

不屈の棋士 (講談社現代新書)

不屈の棋士 (講談社現代新書)