今週のお題「怖い話」
実家に年寄りがいるため、しばらく帰省を控えていて、この盆休みも、いつもと違う過ごし方をしています。
例えば山に行ってきた。文字通り行って来ただけ、ではあるけれど、良い気分転換になりました。
わたしも川に飛び込んで泳ぎたい。
考えてみれば盆に墓参りに行かないのは、人生で初めてです。自分の代になったら檀家はやめてしまっても良いと思っているけど、それまでは、故人たちへの想いはいまだにわたしの中に残っているし、親戚はじめ多くのしがらみを断ち切るのも面倒だし、維持せざるを得ないかな、とも思っています。ドライな唯物論者というわけではないけれど、少なくとも自分に関しては、死んでしまったらその先は考えられるものではないし、考えても仕方ないかなあと思っているので、その旨を周囲には追々言い聞かせておこうとはしていて、これはちょっと早いけど終活のうちの一つですね。ただ一説によると、親しい人の記憶や生前への想いを大切にすることは、本来人が人たりうるために必要な感情であるとも言われていて、えーとなんだっけ、NHKあたりのドキュメンタリーの原作本だったかな、あまり文明や社会性が高くないと思われた古代の人骨を発掘した時、大量の花粉の化石が見つかって、これはおそらく遺体に花がたむけられていたのではないか、という説を読んだ、ような記憶が、ないこともありません。それぐらい古来より人が人に持つ記憶というのは、大切にされてずっと残したいと願うものなので、無理にとは言わないけど、わたしからの希望は伝えておいても良いと思ってます。
そういった、死んでからもね、自分達の存在価値を維持したいとか、覚えておいて欲しいとか、忘れないでもらいたいとか、そういった感情は誰でも持つことですけど、それを過剰に形にしたものがピラミッドや古墳だったのかなあと思いを巡らせると、なんかとても怖いなあって昔から感じるんですよね。怨念とまでは言いませんが、永遠に存続・維持しようとする強い気持ちが、あらゆる人を巻き込んで形にされる。諦めが悪いなあというか、おそろしいなあというか、です。
はてブで話題になっていて初めて知りましたが、日本のアンビエントミュージックのコンピレーションアルバムが昨年のグラミー賞にノミネートされていたとか。個人的にもここ数年アンビエントミュージックに触れる(アンビエントは“聴く“というか“触れる“が適切に思います)機会がグッと増えていて、自分だけかと思っていたら、おっきな潮流だったのかな、不思議なものだなあと思います。そのアルバム冒頭を飾る一曲。映像の建築物がいかにも、な雰囲気で好きです。
Satoshi Ashikawa - Still Space