残り半分

話がまとまる前にやめとく派です

わかりづらい

お題「#応援しているチーム

特別ひいきにしているチームがないので、お題の意図とは少しズレてしまうかもしれませんが、スポーツチームのことを思う時、災害とその地元チームのことが最初に思い浮かびました。例えば東北震災直後の女子サッカーワールドカップ優勝であったり、2年後のプロ野球楽天イーグルスの優勝、他にもちょっと前になりますが、阪神大震災直後のオリックス優勝もありました。そう言う時の報道については、もう何かにすがりたい気持ちでいっぱいでしょうし、地元の心理もそれに近いからこそ大いに盛り上がるわけで、わたし自身も当時の出来事に大興奮した1人です。何でそういう良いタイミングで勝てちゃうのかって考えてみたものの、それまでチームの動きを追っかけて来なかったわたしに解析分析する能力などないのですが、普通に考えれば、災害前から積み上げてきたチームの練習や研究の積み重ねがたまたま華開くところまで来ていた、と言うことなのでしょうか。でもそれだけじゃあないよね、とも思うわけです。精神性と言いますか、きっかけと言いますか。国内精鋭の人々が集まっていくつものチームを作り、それぞれに最大限努力された環境・準備ができていて、やっぱりそれでも勝ちきれないから毎年順位・序列ができるんでしょう。そこから比較的長いスパンを勝ち切ってイチ抜けるには並大抵の心持ちでは為し得ないわけで、災害が人の心にサムシングを生み出した、と言えるのでしょうか。ところでこの心持ちや精神性とはいわゆる精神論と近しい関係にあって、精神論はハラスメントの温床とも言われています。わたしがここ数年大いに思案しているのはその点で、ハラスメントの温床となりかねない精神論を取り除いた合理性の追求のみによってチームメンバーはついて来れるのか、と考えた時、なかなかそうはいかないくて、チームメンバー自身にも精神性が存在していて、頑張ると言う言葉に集約されるのですが、頑張らない人を排除しようとする傾向がチーム内のあちこちに現るわけです。例えば定時で帰ることに苦言を呈する人間もいるわけですね。書いててわけわからなくなってきましたが、要するに、根拠のない自己満足な精神性ではなく、一見ドライに感じる言葉「合理性」の一環として、人のこころに触れることはできないかなあと色々思案してるんです。うーん、「要するに」になってない、解りづらい結びになってしまいました。