残り半分

話がまとまる前にやめとく派です

サツマイモとマムシ

今週のお題「いも」

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週末天気良いのは久しぶりな気がします。牡丹のつぼみが、ほらっ咲くぞほらっ!と言っていた。

さて、いも。小学生の時、授業の一環で、学校の近くの畑を借りてサツマイモの栽培をしました。収穫したさつまいもは、給食室のおばさんに渡して、大学芋にしてもらって食べました。あと、持ち帰って焼き芋にもしたかもしれない。昔のことすぎで詳細が思い出せませんが、多分そんなところです。

そういえばあの畑はまだ残っているのかな、どこにあったかな、とグーグルマップの航空写真を駆使して探してみました。記憶してるのは畑の近くにあった坂道で、なぜ坂道を覚えてるかというと、植え付けした帰りにその坂道でわたしを威嚇するマムシがいたからです。ヘビに威嚇されたことは後にも先にもその時だけで、強烈なインパクトが私の記憶に残っている。お陰で何年かに一度その時の光景が夢に出てくるので、だからサツマイモの畑を見ると威嚇するマムシを思い出します。思い出されるマムシの姿は恐怖そのものですが、たぶん、何度も見ている夢の中でビジュアルがかなり改変なされていて、実際そこまで怖くなかったかもしれません。ただ、いまとなっては夢で更新されどんどん怖くなっていくマムシの姿がわたしのリアルになっています。

先日少し触れたキースジャレットの名盤ケルンコンサートは、その導入部が大変幻想的で冒頭10秒だけで相当のインパクトを残すのですが、アルゲリッチの1965年に演奏されたショパンピアノソナタ3番導入部も、ケルンコンサート以上に素晴らしい始まり方をします。儚く、しかし力強い始まり方です。

 

気の合う仲間ができた

わたしは寝るのが好きで、心から大好きです。大事な商談や顧客挨拶がある朝もギリギリまで寝ている。それで電車が止まったりすると遅刻することになるわけですが、わたしとすれば、予定通り着くはずだったのだが電車の遅延による不可抗力で遅れてしまった、という立派な理由で遅刻しているのであまり申し訳ない気持ちになることはないのですが、営業職の人と顧客挨拶の待ちわせをしたときなどは大変に怒られるので、すみません、電車が遅れまして、ととりあえず謝る。お前は営業職には向かないな、と呆れられますが、そうですね、と答えています。

なので出社の順番はいつも最後から数える方が手っ取り早くて、たいていエレベーターに乗り込むのはわたし1人きりだったりするのですが、最近毎朝頻繁にわたしと同じタイミングでエレベーターに乗る人がいる。その人はわたしとは別の部署・フロアーの人なのですが、あまり頻繁に出くわすのでちょっと聞いてみた。

「やっぱり寝るのが大好きな感じですか」

「そうなんです、特に最近寒いので布団から出られないんですよね」

「むっちゃわかります!5分だけ二度寝するの気持ち良いですよねー」

気の合う仲間ができました。

ピアニストのキース・ジャレットが病により演奏が難しい状況とのこと。彼の作品ではソロライブアルバム「ケルンコンサート」が有名ですが、わたしが好きなのはベーシスト チャーリーヘイデンとのデュオ演奏です。スタンダードな演奏ですが、大変心地よく響きます。

 

音楽は少し聴いた

旅先でついつい漬け丼を食べてしまう。

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「この旅では何もしない」宣言をしたものの、「結局本ぐらいは読むだろう」と2冊ほど鞄に収めていたのですが、本当に何もしなかったので読書をしなかった。テレビもつけなかったし、ただただ温泉に入って飯食って寝て温泉に入って飯食って寝て温泉に入って飯食って帰ってきました。後半は浴場から出るときにシャワーを浴びるのをやめてしまったので、いまにわかに硫黄の匂いを纏っているのが自分でもわかります。

帰りの駅のホームで、わたしの後ろに並んでいた壮年夫婦の奥さんが、「宿に泊まって過ごすのは本当に初めてで、初めて何もしなくて良くなっちゃって、どう過ごせば良いのか分からなくてずっと戸惑ってたけど、でもなんか新鮮な気持ちだった」と旦那に話すのが聞こえてきた。こういう機会でもなければそのまま一生いかなかったかもしれないね、こういう機会があってよかったね。とも言っていた。わたしもよかったね、と思った。

わたしも宿泊中、この8ヶ月ほどを振り返ったりしてみた。特に自分から言い出してはいないけれど業界を通してエッセンシャルワーカーと呼ばれるようになり、しかしわたしはいつもと変わらない仕事をせっせとこなすだけであり、しかしなぜか、そういういつもと変わらない仕事に対してリモートワーカーと呼ばれ始めた人々から間接的にツイートなどで感謝されたりしていたが、そういうのは特にいらないように思う。わたしとしてはSNS隆盛のこの時世においては、感謝より理解がほしいというのが、正直な思いです。そうすれば色々スムーズに物事が運ぶから。

なんてことを湯船でぷかぷか浮かびながら少し考えたけど、基本的にずっとお腹いっぱいで過ごしたために体重計が怖くて一度も乗れませんでした。来週からはストイックな食生活に専念したいと思います。

宿ではオーサムシティクラブを聴きました。

ダウン着た

週末の関東は12月の気候だというので冬ジャケットを羽織って出かけたのですが、ホームで特急電車を待っているとそれでもなお寒い。たまらずバッグに入れておいたユニクロのインナーダウンを着込みました。

昨日急にこの週末を休めそうな雰囲気になって、それならと衝動的にGOTOをネット予約して、今わたしは電車に乗っている。GOTOのことはタイミングとして縁がないと思っていたので、あまりその仕組みを理解しないままの予約したのが色々不安ではある。さらには地域限定クーポンの発行の仕方と使い方がまだよくわかっていません。でも、まあ良い。それに急いで支度したので色々忘れ物してそうだけどそれもたいして困らないと思う。とにかく着いたら何もしないから。雨が降っていて出かける気にもならないだろうし、何もしないが良い。

JAMES  BLAKEが新作EPをリリースしました。このところ内省的な雰囲気の作品が多く、それはそれで悪くはなかったのですが、外にひらけた雰囲気を持つ初期の作品「CMYK」あたりを懐かしく思うこともありました。今度の新作EP「BEFORE」は久々外向きな作品だな、という印象です。いきなり金髪に染めているし、PVは踊る人々のコラージュだし、いままでとは違う。きっと何かしら思うことはあったのだろうなあというのは確実で、今後どう繋がっていくのか大変楽しみです。

エディ

先日、ヴァン・ヘイレンのギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレンが亡くなりました。65歳。早すぎる。

わたしにとって中高時代の音楽というのは、レッドツェッペリンU2、そしてヴァンヘイレンがほぼ全てだったと思う。

89年、友達と一緒に東京ドームにライブを観に行った。アリーナ席だったと思うけど、場の雰囲気に飲まれて大興奮している間にライブは終わってしまって、帰りの電車で思い出すのは大型モニターに映し出された演奏風景だけだったんですが、しばらくしてからテレビでこの時の映像をほぼフルで流してくれた。VHSで録画して毎日のように見てたなあ。大学に入学して最初は寂しい一人暮らしが始まって、友達ができるまでの間はこの映像を見て元気をもらっていた。本当、元気をもらってたね、ヴァンヘイレンには。

これサミーヘイガーの動きとか覚えてるので、間違いなくその時の映像だと思います。この、BPMを落としてバンドがグルーヴしてる「サマー・ナイツ」が大好きで、ハーモニクスとタッピングを駆使して魔法のようなフレーズを弾くエディに追いつこうとは全く思わなくて、常に羨望の眼差しで見ていたと思う。そして何よりこの曲のギターソロのカッコよさ、今見ても、馬のいななきのような音の連なり、ギターフレーズだけでグルーヴィで、異次元のパフォーマンスですし・・・なんだか、わたしなんぞが言葉を駆使したところで彼のためになるわけでもないですし、しかしあまりにもショックですし、なんだか心の整理がつかないけれど、しばらくは彼らのアルバムを聴き続けることになりそうです。

5つめ

わたしはもともと硬くて高さのある枕が好きで、たとえばホテル宿泊の時などは枕が柔らかすぎるので、よく部屋の引き出しに収められているいわゆる「世界一売れた本」を枕の下に挟んだりして寝ていたほどですが、ここ数年硬い枕を使うと頭痛を起こしやすくなっていたので、やむなく硬い枕から離れていました。ところが頭痛がなくなる代わりに今度は肩が無茶苦茶凝るようになって、眠る前に1時間ほど肩をモミモミしてやっと寝れる状態だったのでほんとうに困っていて、流行りの低反発を買ったり羽毛を使ってみたりしたのだけど、全然肩の凝りがおさまりません。そんなわけで、いま私の部屋に枕は4つあるのですが、もうこれはだめだ、って硬くて高さのあるやつ、買いました。これで枕5つめ。

男のそば枕・・・かっこいいじゃないか。ポチって中1日で届き寝てみると、すっごい硬いそして高い(iPhone7の縦置きより高い)ので丸太かと二度見したくなる。ところがこれが、ぐっすり眠れるのだ。ベッドに入っても肩の違和感が全然ないのだ。理由を考えてみると、枕が高いと強く顎を引く感じになるわけですが、それはつまり首の後ろ側がずっとストレッチかかったような状態になり、そうするとどうやらわたしにとっては気持ち良い状態のようです。まったく肩が凝らない。最高じゃあないかと思って周囲に勧めてみたのですが、そんな首の姿勢じゃ寝れるわけないと言われてしまった。眠りやすい環境ってのは、人それぞれなんだなあとつくづく感じました。肩こりなくなってよかった。

 

今週のお題がなくなった

この頃、多忙というか緊張感持って取り組まなきゃならないお仕事が増えてきたので気持ちが落ち着きません。一番大変なのは作業そのものよりも頭の切り替えで、案件ごとに物事を考える視点・階層が全然違うので、その都度わたしは別人になる必要があります。ベンダー事業そのものの視点、個別プロジェクトのあるパーツについての技術的な実現性可否の視点、目先の自社売り上げ・利益と将来の顧客信頼度の視点、社内調整の視点、社内の自分の立場の視点、各案件でこれら視点を総合的に取りまとめて考えてよければ一貫性を持った思考一つで済むので楽チンなのですが、世の中なかなかそうはさせてもらえず、案件によっては個別具体的な一視点だけに執着・集中することが求められたり、ある案件では個別は置いといて俯瞰的視点のみが求められたりするわけです。そうするとわたしはある案件では職人的プレイヤーの人格、別の案件ではマネージャーと言うよりもある意味思想家のような人格を求められる事業も進めていて、そのときわたしの頭の中は地面に這いつくばって目を見開いて地表を見つめていた姿勢から、一気に山の頂上から周囲を見下ろす視点に変えなくちゃならないんですね。1日の中でそれこそ10分刻みでそういった頭の切り替えをしなくちゃならない。さらに別案件を任せている部下たちはお互い何百キロも離れた拠点にいて、彼らはそれぞれ複数の案件を網目のように複合的に分業してもらっているので、彼らの進捗管理と指示をいくつものオンライン会議アプリとクラウドサービスを使って片手間に話し合いながら、案件ごとのプロジェクトデータへアクセス権限をわたしがコントロールして彼らの分担を切り分けながらわたしと情報共有している。難しいのはわたしの業界にとっての成果は概念としてのソフトウェアやサービスではなく、れっきとしたモノ、マテリアルなのだ。そうするとそれだけ遠隔で計画から成果に至るまでのプロセス確認が少し心配であったりするわけです。

そんなふうにストレスを抱えているので今わたしは少しだけイライラしているわけですが、そんな時はてなブログで他愛もないお題に沿って拙い文章を書くのが大変良いストレス発散になっていたんです。そしていつものように今週のお題を見ようとしたら、なくなってるじゃあないですか、お題が・・・。その代わり“ダグ“とか言う某ツイッターみたいなものが始まろうとしている。

驚いたわたしはこの下につらつらと「エンジニアなら“従来“と“今後“、その“効果“について最低限の説明が必要」って説教を渾々と長文で書き始めたのですが、消しました。新しい“タグ“、ぼちぼち慣らしていくこととします。

 

紹介する曲は、今のわたしにとって大変理想的で羨ましい雰囲気を持つ、つまり、癒しを醸しつつ緊張感も失わない、Oscar Jeromeの音楽から、Sun for someoneです。


Oscar Jerome - Sun For Someone