残り半分

話がまとまる前にやめとく派です

新蕎麦は長野に行きたい

今週のお題「秋の歌」

1シーズンに1回くらい食べに行く近くの蕎麦屋で、美味しくランチをいただいて大満足、幸せいっぱいの穏やかに晴れた秋、会計の場で財布を部屋に忘れていたことに気づきました。財布を忘れてしまったので取りに行く、と女将に伝えたら、おそらく全く見覚えのないであろうわたしの目を見て、穏やかに「今度きた時で良いですよ。」と言う。わたしは本当に1シーズンに1回くらいしか来れないので、今度となれば年が開けてしまう。それではわたしの方が気分がよくない。毎夜、寝る前に「あそこに払いに行かなきゃなあ」と思い出していたらちょっと気持ちが悪いので、急いで財布を取りに帰って、会計を済ませました。

わたしは日々、契約文書の単語の定義やニュアンスに、あーでもねえこーでもねえと議論し、補償内容や範囲がどうのこうのといったことを繰り返しているので、蕎麦屋の女将のようなその一見おおらかな態度、大切な利益のもとに対して「今度で良いですよ」と言える、その時の心理ってどんなものなのかと関心を通り越して不思議に思ってしまった。「今度」なんて言葉は大人にとっては社交辞令の「次は多分もうない」くらいの感覚だと思う。それは信用なのか、あるいは諦めなのか、女将の顔や言葉遣いの表面上は前者なのですが、実際は「またか」くらいかもしれないし・・・たかだか数千円程度のことですけど、中にはその程度の出来事に「一生許さない」と渾身の思いで戦いを挑んでくる人も少なくない、そう思わざるを得ない日々を過ごしているすっかりスレたわたしのような人間にとっては、大変衝撃というか印象に残った出来事でした。

秋といえばジャズの「枯葉」かな、と思って映像を探していたら、ソロピアノ作品「Autumn」で有名なジョージウィンストンの映像を見つけました。ジョージウィンストンってそのご尊顔を映像で見たことがなかったので、ピアノの前ではタキシードを着て俯きながら演奏しているのかと思っていたら、ロン毛・ネルシャツ・デニムという超カジュアルな姿で無造作にマイクスタンドをゴトゴト動かしてから演奏を始めていたので驚いた。これはもしかして素人おっさんによるカバー演奏の映像かなと少し疑い始めたところ、「colors」のイントロが始まると、間違いなくあのジョージウィンストンそのひとの演奏でした。