残り半分

話がまとまる前にやめとく派です

慣性

今週のお題「やる気が出ない」

こういうテーマはものすごく自信があります。ずんの飯尾さんの発言には共感しかありません。わたしだって鼻水の代わりに石油が出て欲しいしうっかりニューヨークヤンキーズと契約したいです。無用な摩擦は避けたいからできれば誰とも話したくないし休日は1人っきりで誰にも邪魔されたくないと考えてしまいます。みんなそうなのかなと思っていたんですけど、最低でも人とのコミュニケーションは取りたいという人は少なくないというかむしろ多いんだと知ったのは結構最近の話です。2回目になりますけど、わたしはコミュニケーションもできれば避けたい。それは連休明けだろうが連休前だろうが関係なく、常日頃そのように思ってしまっています。なんていう呟きは書いて自分のパソコンに保存しておけば良いところをこうやってブログに書くということはきっと見知らぬ誰かを意識していますし、どちらかというとやる気がない人をなだめすかしたり共感したり叱咤激励したりと他人を鼓舞する仕事をしていますし残念なことに休みはあまり多くないです。だいたいにおいてやる気がない自分と、表面的にはとってもやる気があるように見える自分、その二面性・乖離性についてはとっても謎で、我ながらわけがわからん状態だなあと感心はしないけどよく思います。やる気なんてね、人はそうそう出ないんですよ。ニュートンの古典物理の世界で、物が動くには力を加えて加速をつける必要がありますが、いったん動いたら後は外からの力がなくとも等速で動き続けることを慣性の法則と言います。やる気とはまさに慣性の法則における加速のことです。やる気は本当に一瞬だけ出て、あとは惰性で進むのが世の中なんだと思います。わたしもきっと、本当に一瞬だけものすごく火がついてボルテージが上がって、そこを頂点にしてあとは重力に従って下っていく・進んでいく、そうやって生きてきたんだろうなと思います。加速がつくのが明日か来週か来月か、それまではゴロゴロ〜ゴロゴロ〜して待ち続けます。

スティーリー・ダン

緊急事態宣言が発令されて都内では多くの店舗が当面休業となりました。だから、休日に都内をぶらついても文字通り本当にぶらつくだけで寄るところもなくお家に帰るしかないような、わたしの観測範囲ではそんな状況です。今度の変異種は、以前のように、マスクさえしてれば近距離で会話した履歴があっても濃厚接触者にならなかった時とは様子が違うので、実は個人的にはちょっと緊張感あります。

そんなわけでいつにも増して籠りがちなここ数日は、1970年代から80年代前半にかけて活躍したバンド、スティーリー・ダンのアルバムAja(‘77)とGaucho(‘80)を集中的に聴いてます。スティーリー・ダンはわたしが学生の頃にすでに、アルバムを十年以上リリースしていない伝説の職人バンドみたいなポジションで、ミュージシャンズ・ミュージシャンとか玄人ウケする音楽と呼ばれていました。痛々しいことに、わたしはそういうのを聴く自分がなんとなくカッコいいと思っていたので聴いていましたが、正直なところ当時は良さが余りわかっていませんでした。第一印象としてはただ地味だなと思っていたし、ましてや良さを言葉にすることなんてできなかったので、あまり周囲と語り合う気にもならなかった。今ならスティーリー・ダンを完全に把握している、と言いたいところですけど、そんなことは全然なくて、やっぱりよくわからないことも少なくないです。それでもたとえば、ベースとドラムのアクセントの合わせ方とか、音の隙間を絶妙なタイミングで埋めるギターのワンフレーズ、鳴っている音のデッド感(エコーの少ない状況)など、聞けば聞くほど物凄い細部まで意識を巡らせて曲を作っていることがわかるので、グッとくるポイントが増えていく。各楽器パートの音にやりすぎと感じるところがないために一見地味ですが、一生かけて解きほぐすだけの要素が詰まっているのがスティーリー・ダンの音楽だと思います。

 

スマホ買い替えについて

スマホの買い替えを考えています。考え始めてかれこれ2年くらい経つ。これまでも度々、買い換えたい熱にうなされ翌日冷めてを繰り返しています。一昔前、機種変実質0円時代は、キャリアの囲い込み戦略に乗ってしまっていたかも知れませんが、買い替えに対する心理的なハードルが低かったと思う。今は定価を月賦払いか、一括購入か、というところか。ただ、買い替えを思いとどまってしまうのは、購入価格よりも、買い替えが楽しくないからだと思う。わたしはiPhoneを使っているんですけど、モノとして、またはOSとして、わざわざ最新版に買い替えたいと思うほどの楽しさや面白さが最新機種にあるかというと、わたしにはあんまり感じられない。外見が変わっても結局保護カバーをつけてしまうし、OSが変わっても使う方法が劇的に変わることはなさそうである。そもそも最新OSは機種変しなくてもインストールできる。買い替えたい要素としてはiPhone12から通信規格が5Gに対応するようになったことですが、5G通信網がまだまだなのと、5Gならではの面白いことがちょっと現状見つからない。一つ兆候としてアップルが高音質音楽配信を始めるのではないかという噂(報道?)があって、大容量データサービスという意味では5Gを見据えていそうだけど、なんとなく発想が平凡というか、相当音楽好きなはずのわたしでさえ、今のApple Musicのビットレート(音質)でそこそこ満足なので、たとえサービスが始まっても、そのために買い換えたいとは思わない気がしている。思えばパソコンはうまくやったと思う。Windows XPのサポート終了とセキュリティリスクを十分に広報して、ほぼ強制的にWindows10搭載マシンに世の中ごっそり買い換えとなった。言い方悪いかも知れないけど、生活や仕事に欠かせない汎用品について、魅力を伝えるのではなくて不安を煽る商法で成功を収めるのは画期的だと思う。車とかならリコールで無償交換になりかねないところ、パソコン業界は大変上手だ。

今日は少し買い換え熱が高くて、iCloudの契約容量をアップしてバックアップ余地を増やしました。それで安心してしまって、お店に行く気が失せてしまいました。

showmoreのcircusという曲です。circusは下北沢のお店にちなんで作られた曲とのことですが、このご時世により残念ながら先日閉店となった模様。一度行ってみたかったな。

 

 

映画熱復帰

GWをきっかけに、久しぶりに映画熱が復帰し初めて、夜更かしして「ターミネーター・ニューフェイト」と「アナ」を観ました。

ターミネーターは“2“まで関わっていたジェームズキャメロンが製作として復帰、アナは「ニキータ」「レオン」のリュックベッソン監督作品。

ターミネーター:ニュー・フェイト (吹替版)

ターミネーター:ニュー・フェイト (吹替版)

  • 発売日: 2020/01/24
  • メディア: Prime Video
 

ターミネーター・ニューフェイト」は「安定の」とか「これぞ」という枕詞がふさわしい作品でした。設定を上手にリセットしたので、今後もシリーズが継続できる余地を残しました。

 

ANNA(字幕版)

ANNA(字幕版)

  • 発売日: 2020/09/06
  • メディア: Prime Video
 

「アナ」はKGBでの秘密活動に携わることになった女性の話。「ニキータ」の悲哀物語を期待してしまった(多分リュックベッソン好きはみんなそうだと思う)ので、そういう固定観念で物を見てはいけないと反省しました。

 

ジェームズキャメロンもリュックベッソンも、ずいぶん長い間作品を作り続けていて、その原動力やバイタリティはどこから来るのか、わたしのような凡人の考えなど到底及ばないところで生きているんだろうなと思う。普通年単位で物を作ったら、相当に燃え尽きると思うんですよ。そうならないのがすごい。わたしの場合は小さな物事が同時進行で色々進んでいくので、一つのゴールを見ても他が佳境だったりこれからスタートだったりするので、なんとなくズルズルと、または無理矢理モチベーションを保っているんですけど、彼らはどうなんだろう。

 

 

 

 

漫画「亜人」完結

漫画「亜人」最終巻の第17巻が先日発売されて、今日買って読みました。

 

亜人(17) (アフタヌーンコミックス)

亜人(17) (アフタヌーンコミックス)

 

 

確か第2巻が発売された頃に初めて購入して、以来年間2巻ずつのリリースだったと思います。この漫画は最初の5話くらいまで原作者と作画者が別々であったことを作者のあと書きで思い出しました。その後は作画の人がストーリーも兼務したんです。当初、人と人の触れ合いみたいなヒューマニズム要素が散りばめられていたところに、ある時を境に突然物語が突進し始めて、多分その頃原作者が離脱したのかなあと思うんですけど、その突然変異したドライさがまた面白かった。ひたすら亜人としての特性を利用したバトルが展開され、屋外や屋内などの環境によって戦い方が変わり、わたしは格闘技や戦闘について全く知識がないんですけど、発想がすげえなと感心しまくった。

最終巻である今作。良かったのは、登場人物の性格・人格を反映した終わりかたになっていることと、エピローグがすごく丁寧で、しっかり物語を綴じ込んでいることで、あれだけ目まぐるしくバトルを繰り返していたのに、読み終わってからこれほど心に余韻を残してくれる漫画なんてそうそうない。

好きだった漫画が終わって感無量と共に、少し寂しくなります。

 

バイオリンソナタ

今週のお題「おうち時間2021」

お題に反して、わたしは某公園に来ています。

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この季節の緑を見るためにわたしは生きている。大袈裟。

毎年GWの頃に有楽町で開催されていたクラシックの祭典ラフォルジュネ、東京国際フォーラムの屋外で新緑の下聴く音楽は至高そのものでしたが、残念なことに2年連続中止となっています。

その代わりと言ってはなんですが、今、公園のベンチに座って五嶋みどりさんによるシャコンヌを聴いています。

いやあ最高だな。

一つのシンプルなテーマから始まり、繰り返し変奏され、最終的に巨大な構築物に変貌していく過程は、この複雑な世界の成り立ちにも似ている、とか深遠な気持ちにさせられちゃいますね。

あ、それでおうち時間2021についてなんですけど、この連休でやったことはといえばお掃除です。大掃除はぎっくり腰の回復によくないので、一日1カ所に集中します。今朝は部屋の四隅だけを一生懸命掃除した。ある日はサッシを歯ブラシで掃除、またある日はフローリングの板の継ぎ目だけを対象に、爪楊枝で丹念に埃を取り除いた。他にも蛇口の頭のネジのギザギザとか、神は細部に宿るのだと言わんばかりに細かいところだけを掃除するのが好きです。

 

映画「記憶屋 あなたを忘れない」

亜人」に続いて鑑賞したのは「記憶屋 あなたを忘れない」です。2020年1月公開作品。

原作はホラー小説ですがこちらは未読です。映画のタイトルだけ見てジーンと来れるかなあと思って観ました。

人の記憶を消し去ることができる都市伝説的存在「記憶屋」の話。

芳根京子さんの演技が素晴らしいと思った。純粋で天真爛漫な雰囲気と、普通に人が持つずるいところや嫉妬心も併せ持つところが大変良かったです。

鑑賞しながら、ある人から特定の人の記憶を消し去るのは大変難しいことなんじゃないかと思いました。人の記憶というのは他人との関わり、相関関係で成り立つものであって、決して単純ではないし、自己完結しないからです。自己完結していると思われる脳の記憶方法についても、パソコンのハードディスクのように特定の記憶が磁気データとして特定の場所に保存されているとは考えにくく、脳全体の信号の関連付けで成り立っているように思われます。だから記憶を操作するというのは、脳の神経細胞のつながり一つ一つを丹念にひも解き、そこからある特定の人の記憶のみを脳内ネットワークから取り除き、さらに消し去りたい人の関係者を抽出し、抽出された人々すべての人の記憶からある消し去りたい人の記憶を消去し、さらに厄介なことに人は自然に忘れることができるので、忘れてしまって実は昔関連していた人をどうやって記憶屋が見つけ出すのかとか、これもやっぱりタイムリープや不死身な設定と同様、いろんな矛盾が発生します。

それで、わたしが小説や映画をほとんど見なくなったのはこういうところにあって、物語にはどうしても矛盾があるもので、だからといってすべてが整合した物語というのは多分ものすごく退屈で、さらに現実世界であってもすべて辻褄が合っている出来事というのは実在しなかったりします。ある物事に対して、なぜ、なぜ、と問いかけ始めると大抵の物事は三つくらいで「いや、わからんけど」という壁にぶつかるものだったりします。そこからさらにつき詰めるだけの時間は無駄なので、ある程度の矛盾は目をつぶって物事は進んでいくのです。だから物語に矛盾を見つけたからと言ってその物語はダメな物語なのかと言ったら全くそんなことはなくて、どこまで許せるか、目をつぶれるかというとき、圧倒的な何かが感じられたら矛盾に目をつぶって楽しむことができるわけで、それはわたしにとって「TENET」だったり「シンゴジラ」だったりしたわけですが、この映画はそう言ったことを久々に考えさせてくれました。

 

記憶屋 あなたを忘れない

記憶屋 あなたを忘れない

  • 発売日: 2020/10/14
  • メディア: Prime Video