残り半分

話がまとまる前にやめとく派です

帰りにちゃんと買った

音楽好きと公言し始めてずいぶん経ちますが、今日軽くショックを感じたので書きます。

さっき音楽雑誌の2020ベストアルバム、みたいな企画を立ち読み(失礼)したんですけど、徹底的に知らない人たちだらけでした。アルバム名どころか名前も知らない。前は、最低限アルバムアートワークは見たことあったりしたものですけど、もはやそれも無い。去年はもうちょっと知ってた。例えばビリーアイリッシュとかですね、今年はそういう上位組さえ全然しらない。しかしわたしは今年音楽を聴く機会を減らした覚えは全然ないので、つまり世間から相当ズレた音楽の聴き方をしているということになり、確かにその辺り多少自覚はあるものの、若い頃とは聴き方がずいぶん変わってしまったなあ、って思います。若い頃は、それでもやっぱり周りから見ると少し変わった音楽嗜好であったものの、好みを友達と共有することが面白かった。一方今は、完全に閉じた・プライベートな音楽嗜好になっていて、それを積極的に共有しようという発想がほとんどなくなっています。と書いた途中で、そういえばこのブログでは多少自分の趣味をYouTube動画の貼り付けって形で共有しようとはしていたので、そこは自己矛盾かもしれないと思ってみた。

ちょっと抽象的な話になりますが、音楽はドレミファソラシドができる(つまり音楽を書き残すことができる状況になる)ずっと昔から存在していて、発生の起源から音楽的文化の移り変わりについてほんの数分想いをはせるだけで、その懐の深さにため息が出ます。記録に残されるようになってからの音楽だけに絞っても、その数は有限ではあるものの、世の中の全ての音楽を聴けるほどわたしには、というか人間には時間がありません。タワレコに置かれてる音楽は、世の中に存在する音楽の1万分の1にも満たないかもしれませんが、お店の在庫を全部聞こうと一生かけても時間が多分たりないでしょう。そう考えると今の自分の音楽嗜好について、数多ある音楽の中からここに至ったことがすごく不思議な感じがします。

立ち読みだけでは申し訳ないので、帰る前に一冊だけMUSIC  MAGAZINEを買って帰りました。

今日聴いていたのは先日の長野の延長でアンビエントっぽい曲たちです。

アルバ・ノトと坂本龍一さんの曲。楽譜に書き残せる坂本さんの静謐なピアノ、書き残せないノトさんのノイズ・電子音。その対比と、出来上がった音楽の落ち着き具合がたまらない。