残り半分

話がまとまる前にやめとく派です

HALとTARS

今朝インターステラーを観ました。映画館で見て以来、2回目です。すごくよかった。2回目だけど朝っぱらから泣いてしまった。壮大な宇宙空間において、おもに相対性理論の予想モデルを存分に盛り込みながら、わたしが凄く苦手な自己犠牲お涙頂戴物語には持っていかず、ごくごくパーソナルな幸せに落ち着くところに、ものすごく高揚し、心が温まりました。

 

ところで作中に登場する人工知能ロボットTARSについては、キューブリックの作品2001年宇宙の旅に登場した宇宙船の人工知能HALと対比すると面白いです。HALは完全無欠なAIであると自ら標榜し、自分に間違いはあり得ないと遠慮なく言い切ります。完全無欠であるゆえ、例えばクルーとチェスをしても絶対に手を抜きませんでした。そのHALはクルー達と協力して任務に当たることを義務付けられていた一方で、宇宙船のクルーには秘密の、HALだけが知り得る任務を別に受けていました。HALは協調と秘密の矛盾を自己処理しきれず、精神的な病いを患ったことをきっかけに小さな判断ミスを犯しはじめるのですが、完全無欠であるはずの自分のミスを認めることができず、最終的には自己矛盾を解決するためにクルーたちを抹消しようと殺人マシンと化してしまいます。インターステラーのTARSは人との円滑なコミュニケーションのために自分が嘘をつくことをある程度許容することで、人に危害を与えることを回避しています。TARSの設計思想はこの点だけでも素晴らしいと思いました。

HALとTARSのもう一つの違いといえば、身体性にあります。HALは巨大な宇宙船に組み込まれた管理システムでしたが、TARSは形こそ合理性の高い独特なものではありましたがスケール感はほぼ人間に近い。HALが宇宙船という閉鎖空間では万能である、というのはある面では人にとって大きなリスクになっていますが、TARSは人の指示によってはじめて船内コントロールが可能となります。この点でもフェイルセーフがよく働いているなあと感心しました。

ってこの手の話が大好きなので長くなってしまった。