残り半分

話がまとまる前にやめとく派です

エンターテインするもの

この頃、Eテレの将棋番組をなんだかついつい見てしまいます。ただわたしは将棋に関して全然詳しくなくて、コマの動かしかた程度なら、つまり歩はひとつ前に進むとか、角は斜めに幾らでも飛べるとか。そのくらいならわかりますが、囲いや戦法に関しては、名前は知っているけど、やり方をひとつも知りません。その程度の知識で何が面白いかというと、ああ先手攻めてるなあとか、後手はここを耐えると反撃できるかもなあといった、ぼんやりしかわからない全体的な攻防や形勢を、解説者の説明があるからこそではありますが、俯瞰的に見た気になって考えたくなる、というところが面白いのです。優生劣勢の傾向は局面と呼ばれていますが、その局面をいかにも把握したような気になって、ふんふん、まだまだここはじっと耐え忍ぶところだぞ、なんて、勘違いの上から目線で見ることができてしまう、その辺りがおっさんには大変エンターテインしているのです。そしてわたしよりひとまわり以上年上の先輩にそれをはなすと、「だろ?お前もとうとうこっち側だな」と言われるわけですが、反論するのも面倒なので、ついつい将棋の話がはずんでしまいつつあります。

ユタ・ヒップズート・シムズの、"コートにすみれを"です。ユタヒップはピアノ、ズートシムズはテナーサックスです。テナーの音が規格外に良い。温かみのある、輪郭のはっきりした音で、コルトレーンのバージョンよりも好きかもしれません。

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重くなりがち

今週のお題「大切な人へ」

大切な人へ、である。大切な人、ならまだ話すのは楽だけれども、へ、が付くととたんに寡黙にならざるを得ない、ような気がします。へ、がつくと特定の人が対象となるわけで、大切な人への想いは、重くなりがちです。そしてそんな重たいことを書く自分に自分で少しこそばゆくなってしまいます。命を投げ打ってでも守りたい人もいるにはいますが、それは時と場合によるわけでして、本人を前にして「時と場合によるけど投げ打ちます」なんて言った日には、はいはいその時と場合は一生来ないよね、と呆れられてしまうことは容易に想像がついてしまう。いやいやそんなことはない、命を投げ打つのはいまこのタイミングでしょ、ってときはあるはずですが、できれば一生こない方が良いと思うのもまんざら嘘ではなく、つまりあれだ、適当です。

マイルスデイビスのhuman Nature、マイルスが亡くなった年、1991のライブです。マイルスの吹く音というかトーンは、どんな時でも唯一無二なのですが、晩年の演奏は体力的に厳しそうに見える映像が少なくありません。でもこれは大変瑞々しく元気いっぱいに演奏されていて、おおお、とグッと来ます。そしてソロが始まる前に、近くで寄り添うギタリストに「あっち行け」と支持する姿が微笑ましい。

 

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マスク

そうとは知らずその日鼻のグジュグジュがとてつもなく、翌日起きたら目が腫れ上がっていました。ついに到来した、花粉。先週からたらたらのだらだらで、クスリを処方してもらいずいぶん楽にはなっていますが、都心にマスクが全くないのはマジで困ってます。こちらに悪気はなくても唐突にタラーンと鼻が垂れた顔を見せられたらあなたはきっとイヤでしょう。わたしもそんなわたしの姿をあなたに見られるのは嫌です。マスクがあれば、お互い嫌な気持ちにならずに済むのですが、2、3件探してもう諦めました。ところが出張先の百円ショップに入ったら、あるわあるわ、普通にマスクの束が。お一人一箱は守りましたが、とりあえず2週間分は確保。ところで、今日でしたか、政府の報道発表で、来週には1億枚マスクを確保、との報道に、1人一枚付けたら1日でなくなるじゃんて思いました。

Gian Swanというエレクトロユニットのジャケがすごく良いので紹介します。セザンヌゴッホなど、100年以上前の印象派絵画を思わせるタッチや色彩感覚がたまらない。でもタバコのフィルター側に火をつけてしまってアチャーと口を押さえる様子はたぶん現代の絵だろうなあと思います。このLP盤を部屋で飾ればずいぶん映えるだろうなぁと思います。

Giant Swan [輸入アナログ盤 / 1LP] (KECK001LP)_864 [Analog]

 

憧れにはまだ遠い

白髪が生えはじめたのはたぶん三十代半ばのころで、鏡に向かって一本見つけてはプツンと抜いていました。しばらくするとずいぶん目立ってきたような気がしたので、市販の白髪染めを使うようになりました。歳とともに白髪の割合は増えていて、散髪するとまだ染まっていない髪があらわになるので、鏡に映った自分に驚愕します。何者だお前は。ただ、白髪具合はまだ中途半端な状態で、トップは結構黒く、サイドだけが真っ白なので、憧れのロマンスグレーには程遠い状況なのです。

黄昏な話だったので黄昏な先日の風景です。ずっと向こうに富士山の影が見えました。

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近所の道端に卵がひとつ落ちていました。エネルギー吸収ジェルを道路に敷き詰めるほどには我国の公共福祉は潤沢ではないので、卵は落ちれば割れてしまう。黄身がてろんと殻からはみ出ていました。まず頭に浮かんだのは、買い物袋を落としちゃったのかな、ということです。スーパー袋2つを片手で持っていると、手提げ部分をついつい持ち間違えて袋ごと落下させてしまったか、それとも自転車カゴから落としてしまったかもしれない。落とした人はさぞ悔しく残念な気持ちだったに違いありません。わたしは人生において卵を落としたことは1度もありませんが、食べていたアイスを道端に落としたことは何度かあり、そのときの絶望感を卵に置き換えればその悲痛な気持ちをイメージすることは容易です。しかし、もし、これが誰かの悪意によるものであれば、ニュアンスが異なってきます。悪意とはつまり、誰かに卵を投げつけたのではないか、ということで、なぜかと言うと、パックが落ちたなら中で割れた卵をパックごと持ち帰るか、そのままパックごと置き捨てていくかであって、ひとつだけ落ちているなんてことがあるだろうか、という発想に基づきます。そうだとすると卵を投げつけられるのは絶対イヤだ。まず臭いし、上着に付いた卵を落とすのもひと苦労で、また見ず知らずの人に卵を投げつけられるのいうことは、王監督時代のダイエー以来の出来事です。そうか、黄金期に入るダイエーに匹敵する愛情の裏返しとしての憎悪がそこにあったのかもしれないな、と考えているうちに家に帰ってきました。

パットメセニーグループのFirst circleです。複雑な変拍子を感じさせない間口の広い爽快感が特徴です。この曲のキモはライル・メイズのピアノソロで、4:30ごろから始まるのでそこだけでも聴いていただけたら大変嬉しい。学生の頃から現在に至るまで、聴いてきたメディア形態はレコードからテープ、CD、ダウンロード購入、ストリーミングへと、たぶんわたしの生涯で一番長い間聴き続けている曲で、大変素晴らしい出会いだったなと思っています。そして今日、ライル・メイズが亡くなったという報道が流れていました。安らかに。

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アカデミー賞とか

今週のお題「元気の秘訣」

韓国の映画「パラサイト」がアカデミー作品賞・監督賞・脚本賞・長編国際映画賞を受賞しました。アジア作品が作品賞を獲るのは初とのこと。素晴らしい。アジア作品の「パラサイト」を、アメリカやヨーロッパの人々はどういう思いで観るのだろうかと想像してみると、なかなか不思議な気持ちに包まれます。隣の国に住むわたし達でさえこの作品で描写されていることを全て理解できているわけではありません。例えば、物語の大前提である「半地下に居住する人々」とはどういう人たちであるのかについて、事前に多くのメディアで解説されていたことからも、おそらくほとんどの日本人が知らない韓国の実態であったのであろうと想像できます。それでも文化的に隣人であり、儒教的概念をぼんやり把握しているおかげで、わからない部分はこういうことかな?と解釈しながら通して見ることができました。それでははるか彼方のアメリカにおいて、またはパルムドールを受賞したフランスにおいて、そういった身近ではない前提条件や慣習、生活のディテールに彼らはどれほどリアリティを感じることができるのか、それとも作品のリアリティを感じる上でこれら情報は重要ではないのだろうか、なんてことを考えて、ものすごく不思議な気持ちになってモヤモヤします。でもバッチリ作品賞に選ばれているのだから、素直にそこはすごいと思った。

さて、元気の秘訣ですが、休むこと。忘れること。この2つです。
今日は有休消化日でした。ほとんどの同僚達が今日働いているので、やはり少しソワソワしてしまう。午前中は着信をついつい見てしまったり。それでも髪を切ってもらいながら地元のくだらない話をしたり、純喫茶なお店でスパイシーなドライカレーを食べたりしているうちにソワソワは消えていき、ようやく今になってこころ安らいできました。それと忘れることについて、仕事の内容はノートにしたためます。そうして書き終えたらノートをバシッと閉じて机の引き出しにしまった瞬間からすっかり忘却させます。ただソワソワや緊張感はといった心の方はどうしても引きずってしまうので、そこは休みでさらに忘却を推し進める。そんな感じです。いまはクラウド経由で仕事がどこまでも追いかけてきますが、あえてこちらから覗きに行くことはしないように気をつけています。そういう忘れるテクニックはようやく最近身についてきたような気がします。それまでは酒の力でも借りないととてもプレッシャーから逃れることはできませんでした。

アカデミー賞ではビリーアイリッシュが追悼パフォーマンスでビートルズのイエスタディをカバーしました。まだ十代の彼女にこういうスタンスを取らせるのは少し酷な気がしましたが、パフォーマンスは唯一無二の素晴らしいものでした。


Oscars 2020 In Memoriam Billie Eilish Performance

音楽とドライブのこと

ドライブと音楽、というのは大変相性の良い組み合わせであるなあとおもいます。一つの閉じたプライベートな空間でありながら、目の前に広がるロケーションが時間と場所によって全く異なってくることが理由です。あらゆる季節の様々な時間帯の景色に、様々な音楽の組み合わせがある。ある一つの曲に対して、時間と場所によって様々な感情を抱くことができる。さらには同じ曲、同じ時間と場所であっても、その車内空間を誰と共にしたかによって、いくつもの感じ方や思い出を作ることができる。個人的に振り返ってみても、幼少期は親の車で親戚の家に向かう稲刈り前の田圃が広がる道中に運転する父親と熱唱した寺尾聡"ルビーの指輪"であったり、叔母から譲り受けた真っ赤な軽自動車に安いラジカセを積み込んで聴いたオリジナルラブの"月の裏で会いましょう"であったり、またはスーパーに向かう道中子供たちと合唱したfolderの"パラシューター(三浦大知の天才ぶりにビビった)"など、多くの人がそうかもしれませんがとても一つに絞り切れないほどの思いがあります。カジュアルなメディアフォーマットは音楽から映像へ移りつつありますし、自動運転化が進めばその傾向はさらに進むかもしれませんが、人にイメージを想起させる最適なトリガーは音楽であろうなあというのは、そこそこに確信を持って言えるのではないかなと考えています。
と言いつつ貼るのはいつもYouTubeなのですけれども。かように人は矛盾に生きているのです。いま車に乗って1番よく流すのはモード期のマイルスデイビスです。超がつく代表曲"so what"のライブをコルトレーンのサックスで聴けます。


Miles Davis - So What (Official Video)



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