残り半分

話がまとまる前にやめとく派です

山女日記を読んだ

湊かなえさんの"山女日記"を読みました。ドラマになっていて続編が最近までやっていたようですが、全然知りませんでした。観てみたいです。

湊かなえさんといえば、映画にもなった"告白"の印象が強いので、これもきっと、爆発したり精神的に追い込まれたりギリギリ生死をさまよったりしちゃうのかな?ってドキドキしながら読みはじめましたが、どうやらそういうタイプのお話ではないようだな、と気づいてからは穏やかに読むことができました。物語は、登る山毎に短編形式で語られる群像劇で、人と人の結びつきやきずなを主軸に山登りのようなペースでゆっくりお話が進むもので、各主人公達が登山を通して前向きな気づきに至る所が、とても心地よかったです。

 

それと、物語そのものとは少し違うところで、読みながらどうしてもひとつ気になったことがあって、それは"みんな山を登りながらこんなに色んなことを考えるものなのかな?"という事です。

わたしは登っている最中は、前方20メートルくらいのおおまかな歩き方をたまに確認する以外、ほとんどは足元に集中していて、基本的に何も考えていません。たとえば会社の悩みや自分の今後を考えながら登ったことは一度もありません。その意味で、わたしにとって登山はいまのところ、草むしりと一緒です。草むしりは目の前の草をひたすら刈り取り続け、余計なことを考えなくて良くて、無心で草を刈った果てに綺麗になったお庭を見るのが気持ち良い。

なので主人公達が登っている最中にさまざまな自問自答や被害妄想の思念をめぐらせていると、足元の集中力を欠いてしまい滑落や転倒してしまうのではないかと読みながらハラハラしましたが、その、登りながら内省を繰り返すのがこの小説のシステムなんだな、と解釈して自分自身を納得させてからは素直に読むことができるようになりました。

システムといえば、"山女日記"とは小説内のウェブサイトのことなのですが、ほとんど詳しく語られることがなく、ウェブサイトに関してもっと知りたいと思いました。わたしは、てっきり登場人物の誰かが山女日記の製作者で、群像物語の共通項になって物語の最後でカタルシスを迎え、大きく心の視野がひらけたりすると面白いなとおもっていたのだけど、そうではなかった。調べると続編小説が出ていて、まだ未読ですが、そっちで触れられてるのかな。