残り半分

話がまとまる前にやめとく派です

慣れ

さっき、スマホアプリの最新版アップデートが終わるまでヨーグルト(ドライフルーツを混ぜると美味しいのでハマっている)を食べながら待っていて、そういえば、と思い出しました。大したことじゃあないんですけど、25年くらい前の話になっちゃいますけど、パソコンが普及し始めた頃って、製品に不具合があることを許さない世の中だったなあって思い出したんですね。「許さない」じゃないかな、製品に不具合があることを「想定していない」世の中だった、という方が正しいかもしれません。不具合の情報は、不具合が発生した当事者と、作った企業の間のみの問題で、あまり大きくアナウンスされないので、一般にはほとんど感知できないことでした。当時の例で言えば、Windows95を使い始めたり、ソフトウェアを使い始めたら、なんかパソコンの画面が止まりまくるので、え、なんだこれは?って思うんですよね。それまで家庭で使っていた精密機器、テレビとかビデオデッキとか、その延長でしか我々はパソコンのことを考えられなかったし、テレビはそんなしょっちゅう電源落ちたり画面止まったりしないわけですよ。だから、パソコンの世界の不具合の多さに、なんだこれは?何十万もする代物がどういうことなんだ?って当時の多くの人たちはびっくりしたんです。しかもメーカーは不具合の発生を悪かったとも言わずに「情報」としてリリースするのみ。あるいはそれはOSの問題だ、と放り投げられたり、あるいはそれは仕様だって言われる。いやいや、不具合が設計時から織り込み済みってってあり得ないでしょう、って思ったんですよね。当時はね。だからいまこうやって素直に、アップデート内容のほとんどが機能向上というよりもバグ修正である中、「あ、そう」って特に嫌な気持ちになったりせず粛々とアップデートを実行する自分や、世の中のほとんどの人たちが粛々とアップデートしている様を想像すると、寛大になったなあとも言えるし、ずいぶん飼い慣らされてしまったなあ、とも少し思ったりしました。

超絶技巧バイオリン奏者、ヤッシャ・ハイフェッツによるチャイコフスキー作曲バイオリン協奏曲。なんだろう、演技がかったシーンがあるので、映画の一部かもしれません。あまりにも速く、あまりにも滑らかに演奏されるその凄みに圧倒されるとともに、オケとのコールアンドレスポンスが倍速映像みたいなので、ちょっとコミカルですらあります。