残り半分

話がまとまる前にやめとく派です

ハル9000

今週のお題「SFといえば」

わたしにとってSFとは、キューブリック監督作"2001年宇宙の旅"です。1968年の映画で、わたしが生まれる前の作品。

 

宇宙船を統括管理し、自分は完全無欠だと主張する人工知能ハル9000が静かに暴走していく様と、ハルを停止しようとする船員達との手に汗握る攻防、その決着に至るまでの過程は、何回観ても緊張するし、死闘の果てには物悲しい余韻をこころに残してくれます。

そしてさらにわたしがこの映画が好きになったのは、ハルが誕生したとされる1997年に出版された、映画の中のハルの人工知能性能と1997年当時の人工知能研究技術を対比した解説本が登場したからです。

最初読んだ印象は、刺激的で面白いんだけど、どうしてもとっつきにくく難しいところがあって、読めたのはわかりやすいところ、例えば、ハルが船員の顔を見ながら会話する時の顔認識技術など、そういうところだけを抜き取って読んでいました。

その後、この本をわかりやすく解説する特集論文が人工知能学会のサイトでリリースされて、それを読んでからわたしにとって決定的に運命的に好きな映画になりました。

"HAL's Legacyにみる人工知能の現状と将来(公立はこだて未来大学 大沢英一)"

https://www.ai-gakkai.or.jp/whatsai/PDF/article-hal-1.pdf

人工知能、AIは合理的判断を与えられたフローに従って突き詰めたものととらわれがちですが、上記の本と論文においては、感情が判断において重要になる、と指摘しています。つまり、"ああすればこうなる、だからこうする"、って理論で突き詰めた合理的判断と、"とはいえあいつらのことを考えるとこのへんがおとしどころでしょ"、って決めた適切な判断は異なる、ということです。

我々人間にとって理想的な人工知能とは、日々価値観が変化する社会性を学習しながら、個々の多様性を尊重しつつ調整を図り決断を下す、そういったものだと理解しました。

 

話変わって、2週間ほど前に霧ヶ峰の車山へ行きました。曇り空の隙間から差す日差しが草原の緑を部分的に明るく照らし、なんだか夢の世界にいるようでした。

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梅のかき氷と統一感

今週のお題「最近あった3つのいいこと」

1 七夕の夜が晴れた

ここ何年も、晴れることはなかったのでは。

7日の夕方、ブラインドの隙間から晴れた空を見て、「これで今夜あいつら会えるな」って思わず呟いてしまって職場のみんなに笑われてしまいました。

 

 

2 谷川岳登山後のかき氷

先週谷川岳を登りました。空の深く濃い青色がとても清々しかったです。

そして、登山後に麓で食べたかき氷が、とても美味しかった。シロップは使わずに、梅の果肉たっぷりなジャムペーストをかけて食べるもので、これがもうめちゃくちゃ良かったので、こんど自分でかき氷を作る時は美味しいブルーベリージャムをかけてみようと思いました。

 

登山中の風景
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笹藪と山小屋、その先にずっと続く尾根
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オキの耳山頂から見たトマの耳の山容。空気が澄んでいて、すべてがくっきり見える。
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左の小瓶が梅のペーストで、これを少しずつかけて食べます。幸せな美味しさでした。また来る。

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3 Friday Night Plansの新譜リリースと気付いたこと

Friday Night Plansが新譜Come and goをリリースしました。

 

Come and Go

Come and Go

  • Friday Night Plans
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彼らを知った2019年当初は、竹内まりやの楽曲カバーなど、シティーポップ音楽として好きでしたが、2021年頃から始まったミニアルバムの連作の肌触りが異様すぎて、正直どう聴いたら良いのか戸惑っていました。バンド名の由来が、金曜夜に週末の過ごし方を考えるワクワクな気持ち、ということだったはずなので、基本的にハッピーな音楽を作る人たちなのかな、と思い込んでいたので尚更です。

新譜Come and goを聴いてみて、わたしの耳が少し慣れてきたのか、聴きやすくなったように感じたので、彼らについて調べ直す気持ちが湧いてきて、さっき今年2月のインタビューを読んでみたところ、ちょっとした気づきがありました。

Friday Night PlansがEP『When I Get My Playground Back』のLeo Youlagi監督によるビジュアルアルバムをリリース|オフィシャルインタビューも公開 - FNMNL (フェノメナル)

音が鳴っていない部分にもレコードノイズが入ったりすることで色んな要素が一つの線の上に乗るというか、一つの部屋に収まる感じがする。

なるほど、と思った。

一見バラバラな要素の組み合わせに統一的な空気感を持たせるものとして、ノイズを上げていることに納得した。最近彼らがフィールド録音をしていることにも納得できた。

この頃わたしが仕事面で興味を持っているのは、一見バラバラのものごとや技術的に相性の良くなさそうな人たちを組み合わせて、なにか足し算以上のものを作り上げることなのですが、そのヒントになった気がします。気がしてるだけかもしれないけど、ようするに、かき氷の梅味と聞いて、梅シロップって美味しいかなあと少し心配になるところ、果肉ジャムを使うと美味かった、これはブルーベリーでも行けそうだと発展させる、たぶん、そういうことです。

めんどくさくなると結論を急ぐのはわたしの悪い癖です。

山とお題と音楽

 

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酷暑になる直前だった先週の土曜日に登ってきたのは、荒船山です。上の写真は荒船山の山様。絶壁です。もちろん登山道はその絶壁ではなくて、右側の緩やかな斜面です。

山の頂上は船の甲板のようにフラットな地形で、小川が流れていて、湿原のような植生でした。

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今週のお題「マイベスト家電」

個々の家電についてはあまり知識がないですが、我が家は相方の要望により、すこし前にオール電化にして、その後太陽光蓄電を導入しました。わたし個人としてはエネルギー源は多様な方が良い論者なのでガスも灯油もあったほうが安心ですが、世の中環境とかなんとかでなにかと電気な方向のようですし、その前に家庭では波風立てたくない主義者でもあるので、とくに家庭でエネルギー議論をすることなく、そうなってます。

最近少し心配に感じるのは、コロナだ戦争だといってなにかと部品調達に時間がかかることで、例えば蓄電池が故障すると交換まで少し大変かもしれない。でもそうなったら東電の電気を使えば良いので、懐は痛いがなんとかなります。

そういえば先週ニュースで電気が逼迫!と言ってましたが、昔は電気不足といえば途上国や異なるイデオロギー国家の出来事で、日本ではそんなこと絶対起こらないのにねえ、なんてのんきに言ってたものですが、わずか20年くらいで電力不足の当事者になってしまいました。ただそれは国力低下とか電力会社の運営力低下というよりも、脱炭素的な考えの社会的圧力によるところが少なくないでしょうし、ということはわたしたちは自分の首をみずからしめているということにもなってしまう。けれど、先程国力の低下ではないと書きましたが、こういった社会的な圧力に柔軟に対応するエネルギー政策こそリスク対応の一丁目一番地であって・・とかなんとかもっともらしく論じようと思いましたがこれ以上深く考える知識はないので、お話は以上です。

 

最近聴いているのはレゲエミュージック、とくにボブ・マーリーです。

レゲエのシンプルで独特なリズム。楽観的な雰囲気に騙されそうになりますが、実はよく聞くと大小複数のリズムがからみあうなかなか深い音楽ジャンルで、若い頃本を読んでレゲエの生い立ちなどについて調べたりしたものですが、なにはともあれ夏にぴったり、気持ち良い音楽です。

 

最近、山とお題と音楽について書いてしまうので、なんだかとっちらかってしまう。困ったものです。(たいして困ってない)

 

 

山女日記を読んだ

湊かなえさんの"山女日記"を読みました。ドラマになっていて続編が最近までやっていたようですが、全然知りませんでした。観てみたいです。

湊かなえさんといえば、映画にもなった"告白"の印象が強いので、これもきっと、爆発したり精神的に追い込まれたりギリギリ生死をさまよったりしちゃうのかな?ってドキドキしながら読みはじめましたが、どうやらそういうタイプのお話ではないようだな、と気づいてからは穏やかに読むことができました。物語は、登る山毎に短編形式で語られる群像劇で、人と人の結びつきやきずなを主軸に山登りのようなペースでゆっくりお話が進むもので、各主人公達が登山を通して前向きな気づきに至る所が、とても心地よかったです。

 

それと、物語そのものとは少し違うところで、読みながらどうしてもひとつ気になったことがあって、それは"みんな山を登りながらこんなに色んなことを考えるものなのかな?"という事です。

わたしは登っている最中は、前方20メートルくらいのおおまかな歩き方をたまに確認する以外、ほとんどは足元に集中していて、基本的に何も考えていません。たとえば会社の悩みや自分の今後を考えながら登ったことは一度もありません。その意味で、わたしにとって登山はいまのところ、草むしりと一緒です。草むしりは目の前の草をひたすら刈り取り続け、余計なことを考えなくて良くて、無心で草を刈った果てに綺麗になったお庭を見るのが気持ち良い。

なので主人公達が登っている最中にさまざまな自問自答や被害妄想の思念をめぐらせていると、足元の集中力を欠いてしまい滑落や転倒してしまうのではないかと読みながらハラハラしましたが、その、登りながら内省を繰り返すのがこの小説のシステムなんだな、と解釈して自分自身を納得させてからは素直に読むことができるようになりました。

システムといえば、"山女日記"とは小説内のウェブサイトのことなのですが、ほとんど詳しく語られることがなく、ウェブサイトに関してもっと知りたいと思いました。わたしは、てっきり登場人物の誰かが山女日記の製作者で、群像物語の共通項になって物語の最後でカタルシスを迎え、大きく心の視野がひらけたりすると面白いなとおもっていたのだけど、そうではなかった。調べると続編小説が出ていて、まだ未読ですが、そっちで触れられてるのかな。

 

バスにてスマホで書く

昨日は那須連山へ行ってきました。新幹線を使わず、鈍行列車とバスの旅。わたしは、電車で移動時間が長くても苦にならないタイプです。

 

茶臼岳から避難小屋、剣ヶ峰を臨む。稜線が綺麗。

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荒々しい朝日岳。え、あれ登るんすか・・って思いながら撮った。

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イワカガミ

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1900m峰側から。左手の鋭利なピークが朝日岳、右手の円いのが茶臼岳。朝日岳の印象が、表と裏で全く違う。
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タイトルがバスにて、とありますが、いま19日の朝10時ごろで、つくば駅からバスに乗っていて、これから筑波山登山口に向かう。長期休暇でもないのに、2日連続登山です。我ながら、そんなに登ってアホか、と思う。

なんでこんなに山にハマってしまったかといえば、やっぱりこの数年、大好きなライブがほとんど観れなくなってフラストレーションが相当にたまっていたのだと思います。特にジャズやクラシックにおける、ライブでのふくよかな倍音がわたしの身体に深く染み渡るところが本当に大好きだったのですが、比較的高齢な層を対象にした音楽ジャンルのためか、ことのほかライブ開催機会が少なく、コロナ禍でカジュアルにジャズとクラシックのライブを観れた記憶がほとんどありません。

そんなとき出会ってしまった登山。音楽とジャンルは全く違いますが、全く知らなかったことが次から次へ出てくるときに感じる新鮮な喜びは、これからまだしばらく続きそうです。

 

いま1番聴いているのはこれ。宇多田ヒカルのスタジオライブです。

素晴らしい。

Netflixで全映像が見れるそうですが、わたしは加入してないので、Apple Musicで音源だけ聴いています。宇多田ヒカルの声がこの世のものと思えないほどに、儚い。裏声と地声の境界で歌い続け、いまにも力尽きて歌えなくなってしまうのではないか、そんなハラハラさせる、ついつい寄り添いたくなるような、繰り返しの表現になりますが、儚い声だと思います。

さあ、いまバスが神社口に着いたので、今年2度目の筑波山に登ってきます。

 

以上が、今日の朝10時半。いまは夜の10時半です。いろいろ内容を調整したので、ここにアップしました。

 

 

電車にてスマホで書く

いま朝の5時で、わたしは懲りることなく山へ向かう途中です。疲労による事故が怖いので、基本的に公共交通機関での移動を心がけており、今日は3時間くらいかかる山へ行く。少し暇なので書くことにしました。

人が足りないとき、応用はダメで、改革しなければいけない。

このフレーズは、先日とある講演で聞いた話のメモです。話の主題はコンプライアンスで、真面目な人ほど忙しさを理由につい魔が差して脱法的なことに手を出してしまう、という話の中で出てきたワンフレーズでした。話していたご本人はサラッと口にして以降詳しく触れることはなかったのですが、わたしの心には印象深く残った言葉でした。

上司の仕事は部下の良好な環境づくりだとよく言われます。そうはいってもお金や人など台所事情は限られているので、頭を下げてはなんとかやりくりして運営する、というのは中間管理職であれば誰しも日常的なことかなと思います。そしてまたこの、手持ちの資源をやりくりすること="応用"こそが仕事だとつい考えてしまう。しかし応用の連続は苦しい状況に変わりはなく、その苦しい気持ちはきっと職場の雰囲気を重くすることに繋がりかねない。

だからこそ改革なのですが、難しいのです。単語としてはたいへんカッコいいのだけど、現状維持こそ正義と考えているひとの多さに、歳をとるほど驚かされる日々でもあったりします。でも、いわゆるD Xという単語が出てきてからはや3年くらい経って、なんのこっちゃとずっと考えてきたのですが、ようやく最近、こういうことかな、というのが見えてきたタイミングでもあったので、だからこそさっきの何気ないワンフレーズがわたしに刺さったのかも知れません。

と、嫌なビジネスのことを吐き出して一旦頭から追い出して、今日は無心で登るのだ。

 

下の写真は、こないだの日曜に登った弥三郎岳山頂からと白砂山頂からの眺望、そのあとの下りで歩きながら見た昇仙峡です。

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もういいかもねって

今週のお題「夏物出し」

写真は榛名山の硯岩からの眺望です。新緑の季節真っ盛り、といった雰囲気でした。

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クールビズが5月からなので、衣替えの始まりはその時期です。クールビズ、さいこうですね。朝出勤するまでの手間が格段に減ります。

ジャケットがいらなくなって、それより何よりネクタイを閉めなくて良くなる。昔からわたしはネクタイを結ぶのが苦手で、そのくせ結んだ時の長さ(剣先の位置)が収まりが悪いと気分がよくないので、あーもうっ!と思いながら、平均で3回くらい結び直します。ノーネクタイなら結びが失敗した時のイライラがなくなって、精神衛生上もクールビズは大変よろしい。

クールビズが始まった頃に会社の先輩から、ネクタイ・スーツはビジネスマンの戦闘服なんだぞ、と言われたものですが、戦闘服だったら機能性を追求した最先端技術の粋(すい)であるべきところ、何百年も変わらないものを戦闘服として身にまとい続けるのは、もういいんじゃないかなと思ったりしたものです。とはいえその先輩も今や、11月にクールビズからスーツ・ネクタイに戻ると「首が気持ち悪いな」と言ってます。

みんながもういいかもねってわかってるけど維持されてることって世の中に色々ありますからね。

それで思い出したけど(なぜそれで思い出したか書くと、少しネタバレになってしまう)、トップガン・マーヴェリック見てきました。見てる間ずっと体がこわばってしまうほどにすごい飛行映像の連続で、面白かったです。

わたしのとってのトップガンと言えば前作で聴けた「トップガン・アンセム」で、スティーヴ・スティーヴンスのギターによるあのテーマを、自室でギターをアンプに繋げて延々弾き続けていると壁をゴンゴン叩く音が聞こえてきて、隣の住人から苦情をいただいたのは良い思い出です。